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完璧なプランなんていらない。とにかくやってみることで道が開ける - 小野薬品工業株式会社 塩屋 裕樹さん -

「結果を得るためには、完璧なプランをつくるよりもっと大事なことがあると気づいた」。小野薬品工業株式会社(以降、小野薬品)で働く塩屋裕樹(しおや・ひろき)さんは、ベンチャーでの経験を振り返り、そう話します。

塩屋さんは、研究、営業や海外駐在を経て、現在はオンコロジー(腫瘍の原因や治療の研究)の分野において、海外も含め研究や創薬の提携先を探し、運営する仕事をしています。小学生の頃、祖父をがんで亡くした経験から「薬の開発で病気の人を助けたい」という思いを持ち小野薬品へ入社しました。 そうしてやりがいを持って働きながらも、「自分ももっとできることがあるのでは」と考え、更なるチャレンジのため、レンタル移籍を経験することに。1年間限定で「地域みらい留学事業」「しまね事業」他を展開する一般社団法人地域・教育魅力化プラットフォーム(以下、地域教育魅力化PF)へ行ったのでした。
 
大切な家族の元を離れ、単身で島根へ移住し、挑んだ1年間。塩屋さんにどのような発見があったのでしょうか。お話を伺いました。

「もっとなにかできることがあるんじゃないか」
自分の価値を発揮するために

―小野薬品ではどのようなお仕事をされていましたか?
 
海外の企業やお医者さんたちとがんの薬を作っていくために提携先を探し、運営する仕事をしてきました。
 
入社して最初はすでに始まっていた脂質関連の薬の研究に従事していました。その後2年間、がんの薬の副作用の吐き気を抑える薬を、お医者さんや薬局の先生方に説明する営業の仕事をして、また同じ研究に戻りました。その時にはプロジェクトも進み、海外の会社や研究者と打合せをする機会が増えました。

ですが、当時英語が苦手だったので、英語での仕事の経験を積みたいと思い、現在の提携に関わる仕事に手を挙げ、アメリカにも3年ほど赴任していたことがあります。アメリカから帰国後、今のがんの研究の提携を担当することになりました。
 
―とてもやりがいのあるお仕事ですね。
 
そうですね。薬が世の中に出るまでには長い年月がかかりますし、研究、開発した薬が販売されることはとてもレアなんです。そんな中脂質の薬の仕事は、ヒトでの安全性や有効性が確認できる段階まで関われたことがよかったですね。営業の仕事も、薬について説明して採用されれば嬉しかったですし、とてもやりがいがありました。
 
―そもそも小野薬品入社の動機はなんですか?
 
小学生の頃祖父ががんで亡くなり、ずっと薬の研究者になりたいと思っていたんです。大学の薬学部を卒業後、そのまま大学で研究を続ける道もあったのですが、製薬会社で研究をしたいと思い、新薬に特化した研究開発型製薬企業である小野薬品に入社しました。
 
―夢が叶ったのですね。お仕事もかなり思いを持って取り組んでいるようですが、今回のレンタル移籍のようなチャレンジをしようと思った理由はなんですか。
 
薬を作りたいと思っていたので、その点では夢は叶っているんですね。ただ、「もっとなにかできることがあるんじゃないか」と漠然とした焦りのようなものがあり、ベンチャー企業で視座を高めることができると思い応募しました。
 
タイミングもちょうどよかったんです。アメリカ行きのために中断していた大学院での学びが終わり、博士号が取れた頃でした。帰国後、がんの担当になったのですが、もともとずっとがんの研究をされている方たちの中でどうやって自分の価値を打ち出していくかと考えていた時だったので。

根底にあるのは「人を助けたい」という思い

―塩屋さんのビジョンは「世界中の人がトライし続けられる世界」と伺いましたが、どういった想いがありますか。
 
レンタル移籍の行先を決めるにあたって「もしも製薬会社じゃなければ、なにがしたかったですか?」と聞かれて初めて自分のミッションやビジョンにしっかり向き合いました。そこで改めて「人を助けたい」という思いに気づいたんです。また、私自身が慣れない英語でアメリカに赴任した際、周囲の人にすごく助けられたんですね。なので、薬で人を助けることも含め、どんな人でもトライし続けられる世界を周りの人たちと一緒に作っていけたらいいなと思いました。
 
―そんな中で地域教育魅力化PFを選ばれたわけですが、ご自身のビジョンに合うと感じたのでしょうか。地域教育魅力化PFは、ソーシャルなお取り組みをされている企業ですよね。
 
そうですね。受益者の方がチャレンジし続けられる世界づくりをしているところという点で興味を持ちました。地域教育魅力化PFは、主に都心の学生が地域の学校に入学する「地域みらい留学事業」や、“帰って来られる島根”を目指す「しまね事業」などを通じて、地域創生行っています。ビジョンもそうですが、社会貢献したいという思いもあって地域教育魅力化PFを選びました。
 
ちなみに実際に働いてみて気づいたことがあるんですが、改めて小野薬品での自分の仕事も社会貢献になっているなって。皆「薬で社会の役に立ちたい」と思って入社すると思いますが、毎日の業務に追われその場の目標にフォーカスしてしまっていたり。また、薬は開発から販売まで約10年以上と長期間かかるため、すぐに患者さんのためにはならないので、社会貢献できていると認識しづらいだけなのかもしれないということも感じました。

初めてだらけの環境で見えたもの

 ―単身赴任で島根県に行かれたということで、これまでの環境とは大きく違いますね。戸惑いはなかったのでしょうか。
 
そうですね。実は8歳の娘からは「自分から希望して家を離れるなんて、私のことが嫌いになっちゃったの?」と言われてしまったのですが、なんとか説明して。妻も理解してくれたので、思い切って1年間の単身赴任を決めました。初めての土地でしたが、仕事の後に飲みに連れて行ってくださるなど、仲を深める機会を多く作っていただきました。
 
自分も馴染もうと、実は服装を周囲に合わせて変えました。最初はカッターシャツにジャケット、ノーネクタイといったビジネスカジュアルで通勤していましたが、そんな人は私以外いなかったんですよ。「そのかっこう、いつ崩すの?」なんて言われながらもカジュアルな洋服をあまり持っていなかったこともあり、最初はそのままで。
 
でもある時、メンバーに「外見を変えてみたらブレイクスルーするかもよ」と言われて、Tシャツ等の普段着で出勤してみたんです(笑)。自分の中では大きく色が変わったつもりだったんですが、メンバーたちからは直ぐには気付いてもらえず「もっと変えてもよかったのに」って。
 
―なるほど(笑)。ちなみに仕事の内容はどのように決まりましたか。
 
最初に3つ業務内容をご提示いただきました。まずは資金調達。もうひとつは、地域留学によって地域がどう変わったか調査をして、どんな経済効果があったか、教育の質がどれくらい上がったかなどの主にしたデータ作り。3つ目は広報など企画の業務でした。
 
その中でも資金調達に重点を置いて動くことになりました。というのもこれまでは日本財団からの助成金があったのですが、それがなくなって組織として自立せねばならず、最も重要なのが資金の調達でした。
 
―それは重大な役割ですね。これまでの人生で資金調達に関わったことはあったのでしょうか。
 
全くないですね。なのでいい経験になりました。地域教育魅力化PFでは、「寄付でもなんでもいいからお金を集める方法を考えましょう」というところからのスタート。これまでは「こんなことやってください」とやることがあらかじめ用意されており、その中で進め方や細かい点を各自工夫するというやり方だったので、あまりにもざっくりとしたミッションに最初はとまどいました。
 
地域教育魅力化PFの尾田さんからは、「まずはいろんな人に話を聞いてみて」と言われたんですが、人に迷惑をかけないようにまず自分で調べる、セミナーで学ぶなどデスクワークのスタイルを変えられず、最初はしんどかったですね。
 
―これまでの仕事の方法をすっかり変えなければならなかったのですね。
 
そうですね。誰かに話を聞くとなると構えてしまって、素早く動けなかったんです。まずその人についてしっかり調べ、「こんな人だからこんなことを聞こう」と丁寧に準備していました。でも「話を聞く」というのはもっと気軽でよかったみたいで、SNSで「こんなこと知っている方いませんか?」と募ってみたり、メッセンジャーで「話を聞かせてくれませんか?」と気軽にやり取りをする、こういうことでいいんだとわかりました。最初はこうした未経験の仕事の進め方に慣れるのに必死でしたね。
 
―これまでとは異なる仕事のやり方になれるまでも大変だったと思いますが、資金調達のお仕事は順調に進められましたか。
 
いえ、かなり苦労しました。資金調達の目標金額を立てるところからやらなければいけなかったんですね。「自分で決断して始めればいい、それもここで得られる経験」ということで後押しして下さっていたのですが、小野薬品ではある程度の段階で上司がコミットしてくれて進めていたので「これでいいのだろうか」と、決めてみたものの不安になり。数字を適宜修正しながら進めていきました。
 
―目標金額を達成するため具体的にはどのような施策を行ったのでしょうか。
 
主にふるさと納税です。当初、企業向けのふるさと納税と個人向けのふるさと納税の2本柱で検討を進めていました。寄付やクラウドファンディングも考えたのですが、高額の入金が見込める企業向けと、返礼の品の工夫によって獲得が期待できる個人向けが現実的な方法だと考えました。
 
しかし検討を進めるうちに、企業向けについては、このまま推進しても良い結果を得ることが難しいだろうということで、結果的に推進しないという判断になって。
 
そこで、個人向けのふるさと納税に注力することになると共に、私が資金調達全般の責任者となって推進していくことになりました。

この方法がベストか分からない。
それでも協力して欲しい。

―具体的にどのようなことを行ったのでしょうか。
 
返礼の品を準備し、仕組みを整えました。その後は、ふるさと納税をお願いする声かけをしていく必要があったのですが、分からないなりにまずは3回ほど、ふるさと納税についての説明会を行ってみました。身近な人からということで、団体の職員さんやパートの方々を集め、寄付の協力を依頼したんです。正直、団体の職員さんの中には、知り合いへ寄付の依頼をすること自体に抵抗がある方々もいました。
 
でも、「この方法がベストか分からないけれど、まずはこのやり方で頑張らせてほしい。みなさんには具体的にこのように協力してほしい」といった胸の内を正直に話してみました。そうしたらその場でいい反応がもらえたんですよ、会の最中に知り合いに依頼してくれた人もいて。
 
―良かったですね。説明会で成功したポイントはなんだと思いますか。
 
正直な気持ちを話したことと、団体が継続してもしなくても無関係ともとれる私が、団体継続のために自ら動いた行動を見てもらえた点だと思います。
 
実際、「地域みらい留学」を通じて高校生たちと接することで、地域教育魅力化PFの事業に想いが生まれ、資金調達の必要性が腹落ちしたんですよね。だからそういう必死さが伝わったのだと思います。その他の動きとしては、小野薬品の社内に寄付の自動販売機を置くという動きなどもしました。
 
―そうやって社内の人が協力してくれるのは嬉しいですね。レンタル移籍を通じて、改めて小野薬品の良さを感じた面もあったんじゃないでしょうか。
 
ありますね。規模の小さい組織ではお金を得ることから始めなければなりません。予算がない中でなにをどのようにやり繰りするか、考えるのがすごく難しくて。
 
その点、小野薬品では社内稟議で予算が獲得できれば実行することができます。そして結果を出せたら人の命を救う社会貢献ができるわけです。改めてその環境に有難さを感じましたし、それを当たり前と思わず、そのリソースを大切に活用していきたいなと思いました。
 
それから、移籍中に小野薬品の上司が、自分の悩んでいる週報を見て「大丈夫か」と気にかけてくれて。そうやって周囲の支えにも改めて気づけました。嬉しかったですね。
 
―メンターの方も支えてくださっていたんですよね。
 
はい、メンターの木本さんに話を聞いてもらっていました。たとえば、私は相手の言葉を深読みして考えすぎてしまうところがあって悩んでいたのですが、「発した言葉以上の意味はないから考えすぎない方がいい」と助言して下さるなど、私が動けるように何度も背中を押していただきました。
 
―心強いサポーターが回りにたくさんいたわけですね。最終的には、資金調達の目標金額を達成したとか。最後はどのように移籍を終えたのですか?
 
動き続けた結果、資金を集めることができて本当によかったです。移籍の最後は地域教育魅力化PFの皆さんから寄せ書きをいただき、卒業式までしてもらいました(笑)。
 
今でも連絡を取り合っている方もいます。寄せ書きには「団体に資金が必要で、そのために皆で動くことが大切という意識を根付かせてくれた」と書いてくださった方がいらっしゃったのが印象的でした。そういう意識的な部分でも何か残せたのは嬉しかったですね。

中央が塩屋さん。地域教育魅力化PFの岩本さん(左)・尾田さん(右)。 

身につけた突破力と巻き込み力を生かして

―改めて今回の経験を通じて塩屋さんに身に着いたスキルはなんでしたか?
 
突破力と巻き込み力ですね。とにかくやってみること、そして苦労していることや弱い部分を正直に話すことで協力が得られました。望む結果を得るためには完璧なプランを作り上げることだけが正解ではないと分かりました。
 
これまでは、なにかを始める時はまず、許可を取るための準備として調査をし、書類をまとめ、会議に上げる、と順序が大事でしたが、ベンチャーはスピード感が大事。とにかくやりながらうまくいかなかったら撤退する。また、社内に人がいない時は、個人のつながりをフル活用して実現していくこともベンチャーならではと感じました。
 
―小野薬品に戻られて、今はどんなお仕事をしていますか。
 
元いた部署に戻ったんですが、1年のうちに変わったことや忘れていることも多いので「リハビリ期間」のつもりで業務を再開しています(笑)。
 
経験をどのように生かすかはまだ模索中ではありますが、オンコロジー研究提携担当として、外部の提携を担う新提案ができればいいなと思います。移籍中に知り合った人とのつながりも生かしたいですね。
 
また、地域教育魅力化PFで“出資を依頼する立場”を経験したことで、確実に今までより提携先の気持ちが分かって、相手のことを考えるようになりました。これはすごく大きな違いだと思います。
 
―提携先の方々とよりスムーズに仕事が進められ信頼されそうですね。お仕事以外で、この経験から得られたことはありますか。
 
地域教育魅力化PFでは兼業の方も多く、視野が広がりました。まだまだ先ですが定年後も社会貢献できる道筋が見えた気がします(笑)。そして1年間単身赴任だったこともあり、移籍前より家族を大切にできるようになりましたね。

これまでとは全く異なる仕事の進め方に悩みながら、難関な資金調達の仕事に果敢に挑んだ塩屋さん。弱さを見せて周囲をプロジェクトに巻き込めたということですが、周囲に馴染もう、移籍先の役に立ちたいという誠実さ、謙虚さが愛され、チームの一体感を作れたことが目標達成につながったのでしょう。今後も常にチャレンジされ、社会に大きく貢献される姿が目に浮かびます。

(※ 本記事は2022年12月に取材したものです)

協力:小野薬品工業株式会社 / 一般社団法人地域・教育魅力化プラットフォーム
インタビュー:秦 真紀子
撮影:杉村 知美
提供:株式会社ローンディール
https://loandeal.jp/

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