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ナスコンバレーに携わってわかった「新しいものを生み出すのに必要なこと」株式会社村田製作所 岡村一太朗さん

電子部品メーカー・株式会社村田製作所から半年間、ベンチャー企業へ「レンタル移籍」( ※ 村田製作所では「ベンチャー留学」制度として導入)をした岡村一太朗(おかむら・いちたろう)さん。移籍先に選んだのは、「100個の新産業を共創する」ことをコンセプトに掲げるSUNDRED株式会社です。移籍にあたって、事業所のある滋賀から東京へ移り住み、初めての単身赴任を経験。そこには仕事も生活も新しい環境に飛び込み、葛藤しながらも果敢にチャレンジしていく岡村さんの姿がありました。

「面白そう」の好奇心が移籍の原動力に


——村田製作所ではどのようなお仕事をされていたのですか?

材料プロセス開発部で、新材料を起点として新規事業を起こすための仕事をしていました。私たちの部署では、5年ほど前から新規の材料に対して、材料開発やプロセス開発などを行っています。主に品質やコストなどについてプロセス視点での開発を行っています。

また、材料を使うにあたっては、地球環境への影響も考慮しなければなりません。私たちが実際に使おうとしていた材料は、標準的な作り方では環境負荷が高くなってしまうデメリットがありました。そこで、少しでも環境負荷の少ない作り方ができないかを検証しながら、開発を進めています。

——どんな分野での活用が想定されているのでしょうか。

もともと村田製作所が得意としてきた通信・エネルギーの分野はもちろん、新たに力を入れて取り組んでいるのが、医療ヘルスケア領域です。新しい材料を使って新規事業を起こせないかを模索しています。

ただ、私を含めた部署のメンバー全員が、技術開発や研究開発を専門にしてきましたので、新規事業を起こすのには「本当にこのやり方でよいのだろうか」という迷いもありました。メンバーで話し合い、試行錯誤をしながら進めている状態でしたね。そのヒントを得たいという思いもあり、レンタル移籍に興味を持ったのです。
 
——岡村さんは村田製作所で2期目のレンタル移籍者だったそうですね。

はい。なので、1期目のメンバーから移籍の話は聞いていました。「面白いことをやってきたんだな」というのが、そのときの印象です。今考えると、もっとよく聞いておけば準備ができたのに、もったいなかったなと思います。

——面白そうという気持ちのほうが強かったんですね。

そうなんです。私は一度転職をしていますが、分野としてはずっと技術開発に携わってきました。だから、まったく違う業界で働いてみたいという思いがあったんです。新しい環境に飛び込む不安よりも、これまでと違うことをやってみたいという興味のほうが強かったですね。


「事業」ではなく「産業」を創り出す


——移籍先にSUNDREDを選ばれたのはなぜですか?

移籍すると決めてから、「自分は何がしたいのだろうか」と考えたのですが、深掘りするうちに社会との関わりがキーワードになりそうだと感じました。というのも、子どもを育てるようになり、日々の生活のなかで、社会や地域とのつながりが大切だと思うようになったからです。そこで、移籍先は「社会貢献」や「地域貢献」を軸にしている企業で探してみようと決めました。

また、村田製作所で新規事業の立ち上げに関わっていたので、そこで役立つスキルを身に付けたいという気持ちもありました。その2つの点にぴったり合っていたのが、SUNDREDだったのです。とても面白い切り口でビジネスを展開されていました。

——面白い切り口というと?

SUNDREDでは、「事業」ではなく「産業」を創り出していくという発想をしています。代表の留目さんは壮大なビジョンを描いていて、「100個の新産業を共創する」ことをコンセプトに掲げています。さらにその新産業は本来実現すべきである社会課題を起点とした産業を創ることを掲げているのですから、かなり大きなスケール感ですよね。

正直、そのスケールの大きさや方法論が新しすぎて、はじめは何をやっている会社なのかをよく理解できていませんでした。そのくらいやっていることが幅広く、今までにない概念の会社だったのです。でも、わからないからこそ行ってみる価値があるんじゃないか。自分や村田製作所にとってより多くのヒントが得られるのでは、と考えるようになりました。わからないことにチャレンジするほうが、自分の成長にもつながるだろうと。

——具体的にどのようにして産業を創り出していくのでしょうか。

SUNDREDでは大きく4つのステップが必要であると発信しています。一つ目は、組織の枠を超えて社会起点で越境しながら活動する個人(インタープレナー)が活動できる場を作る。二つ目は、インタープレナーが対話による目的と仮説を共創していくフューチャーボード。三つ目は、さらなる対話で仮説を高めプロジェクト組成を行う新産業共創プロセス、最後にプロトタイプの実証を行うための実験場としてリビングラボ。この新しい取り組みを進めるため「まずは関連する人たちとしっかりと対話をしましょう」というのが、代表である留目さんの考えです。

対話を通して、徐々に産業としての形を作りながら、仮説を立てていく。そして、仮説ができたらトライして、ダメだったら修正をする。そのサイクルを回していくのがSUNDREDのやり方です。だから、対話がすごく大事なんですよね。

葛藤する日々に、動きながら見えてきた光


——岡村さんはSUNDREDでどんなお仕事をされていたのですか?

私は、産業の起点となる事業が動き出したときに、それを実証実験したり、実際に活動できる場を作る仕事に関わっていました。それが「リビングラボ」(研究開発の場を生活空間の近くに置いて、生活者視点のサービスや商品を生み出す場所)と呼ばれるもので、2021年10月から那須市で展開を始めたナスコンバレーもその一つです。ナスコンバレーは日本最大規模のリビングラボで、私はリーダーとして主に運営を担当していました。

産業を創り出すために必要なのは、産業の起点を生み出すための対話の場と、もう一つは、仮説が立ったときにそれを検証する場です。それぞれの産業は社会課題を起点に考え出されているので、実際に社会の中で実証実験ができる場所が必要になります。

ナスコンバレーでは、東京ドーム170個分の私有地を含む那須地域の広大なフィールドを活用し、実証実験ができる場を提供しています。他の地域でもいくつかリビングラボはありますが、これだけの規模で、なおかつ複数の自治体が連携しているのは国内でも初めての取り組みです。
 
——ナスコンバレーではどんな実証実験が行われているのでしょうか。
 

たとえば、ドローンを使った産業では、広大な私有地を利用して商品の配達や、テーマパークが立地するロケーションを活用した来場者への認知向上や理解浸透を目的としたアトラクションなどの実証実験が行われています。ナスコンバレーでは自治体が連携しているので、ドローンを飛ばすための申請がスムーズなだけでなく、積極的に実証実験の場を提供してもらえるメリットがあります。

——SUNDREDでのお仕事にはすぐに馴染めましたか?

これまでとはまったく違う環境だったので、対応するのが大変でしたね。私の場合は、業務内容を理解するのにすごく時間がかかりました。今まで技術開発の仕事しかしてこなかったので、最初の頃は打ち合わせで出てくる言葉の意味もよくわからなくて。

「リード」って何だろう? と思っていたら、「見込み客」のことだったり、他にもイベントや広報関係の用語には苦戦しました。誰かに質問するにしても、何がわからないのかもわからなかったので(笑)、自分で調べて、前後の文脈からだんだん理解できるようになっていきました。これはSUNDREDにレンタル移籍した前任者も同じことを言っていたので誰もが通る道かもしれませんし、ヒアリングをしっかりしておけば戸惑いを小さくできた点でもあったので、勉強不足でした。

——それは大変でしたね。

うまくアウトプットができなくて、どうしたらいいのかわからない時期が特につらかったですね。留目さんから求められていることに対して、自分なりに考えて動くのが難しくて。要求に応えらえないもどかしさを感じながら、悔しい思いもたくさんしました。

——その時期をどうやって乗り越えたのでしょうか。

メンターの伊藤さんには助けてもらいました。落ち込んだ時期には「こういうふうに考えたほうがいいんじゃない」と見方を変えてもらったり、仕事が順調になってきた時期には「もっと考えてみよう」とアドバイスしてもらったりと、うまく飴と鞭を使い分けながら導いていただきました。どちらかというと、飴のほうが多かった気がしますが (笑)。

あとは、仕事をやっていくなかで乗り越えられた部分もあります。一つひとつの仕事に取り組むうちに、だんだんと何を求められているのかわかるようになり、「そういうことだったのか!」と。最初の2、3ヶ月は模索してばかりで、周りの人たちにも迷惑をかけてしまったと思いますが、動き続けることでようやく乗り越えられましたね。

「何としてでも成功させたい」という熱量が大事


——慣れない環境で大変なことも多かったと思いますが、組織の違いを感じる場面はありましたか? 

何でも自分でしなければならないところは違いましたね。初めてやったこともたくさんあります。法務関係の手続きなど、村田製作所ではバックオフィスの人たちにお任せしていたので、そのありがたみを実感できたのもいい経験でした。

また、業務に関しては、必ずしも完璧な形ではなくても、走りながら動かしていくことの重要性を学びました。途中でいくらでも変えられるというフットワークの軽さは、大企業にはないものです。そのまま村田製作所で同じことができるわけではありませんが、開発の仕事に生かせるところがあると思っています。

——そんな中でも、これまでの経験が生きたことはありましたか?

スタート直後ということもあり契約書や規約などを修正することが多々ありましたが、この点はこれまでの経験が生きたと思います。村田製作所では法務部が契約書案を作成・修正してくれますが、それを元に共同研究先や取引先と担当者が案件ごとに詰めていきます。その経験があったので、取引先とのやり取りやバックオフィスとの意見交換なども違和感なくスムーズに進めることができました。

——ちなみに、代表の留目さんとは、かなり緊密にコミュニケーションを取られていたそうですね。

移籍期間の途中からは、毎日1on1の時間を作ってもらっていました。移籍したばかりで、うまくアウトプットができずに悩んでいた私に、留目さんから「わからないことはちゃんと話をしよう」と提案してくださったんです。

留目さんは厳しいこともストレートにおっしゃる方なので、時には指摘を受けて落ち込むこともありました。でも、そこまで言ってくれる人はなかなかいないですよね。自分がチームのメンバーに対して同じことができるかというと、難しいですから。対話を重ねたことで、業務の内容についてもすぐに聞ける関係性ができて、仕事もやりやすくなりました。

——そこでも対話が大事だったのですね。

そうですね。留目さんからは、いつも仕事に対する情熱を感じました。留目さんと二人で企画を練った案件についてナスコンバレーの理事会に提案した際に棄却されたのですが、その顛末を留目さんに報告すると、この企画の意義や目的を自分の言葉で伝えたのか? ダメと言われてすぐに諦めたのではないのか? と問われて答えられなかったことが印象に残っています。

その後、別の機会でも「大きな会社で働いていると、できないことに対して言い訳ができてしまうんだよね。会社の方針や上司が許可しなかった、と理由はいくらでも作れてしまう。我々がやっていることは前例がなく正解がないのだから、オーナーシップを持ってやりきる覚悟で挑まないと何も成し遂げることはできない」とおっしゃられたのが印象に残っています。

何かを成し遂げるためには、何としてでも成功させたいという熱量が大事なのだと、改めて教えていただきました。

SUNDRED代表取締役 留目さん(左)と岡村さん

メンバーとの絆で生まれた「巻き込み力」


——移籍の後半では、ナスコンバレーのイベントを開催されたそうですね。

はい。ナスコンバレーでどんなことをしているのか、どんなことができるのかを知っていただくためのオンラインイベントを開催しました。告知からイベント開催までの期間が短かったにもかかわらず、2月に開催した1回目は一般申込の枠がすぐに売り切れ。ナスコンバレーに対する期待の大きさを実感しました。

——イベントで苦労されたことはありますか?

実は、1回目のイベントのときは一人で抱え込んでしまってうまくできなかったんです。それで、その後にSUNDREDのメンバーと飲み会をしたときに、ポロっと弱音を吐いたら、みんなが「助けるよ」と言ってくれて。そこから、素直に周りの人たちに助けを求めることができるようになりました。

正直、みんなが忙しいのはわかっていたので、どうやって業務を分担してもらえばよいか迷ってしまっていたんです。でも、「仕事を振ってほしい、何がわからないのかから整理していこう」と声をかけてもらえて、すごくありがたかったですね。そのおかげで、2回目以降はうまくメンバーを巻き込みながらイベントを開催することができました。

SUNDREDで出会った仲間たちとは、今でも個人的な交流が続いています。これまで関わることがなかった業界の人たちとつながることができたのも、貴重な経験でした。

——やりがいを感じられたのはどんなときでしたか?

特に達成感があったのは、最後の1ヶ月でしたね。それまでは東京でやり取りをしていたのですが、ナスコンバレーの現地に行ってみると、応援してくれている方がたくさんいることに気付かされました。

直接お会いしたことのない方から感謝の言葉をいただいたり、移籍が終わることを伝えると残念がってくださったり。そうした声をかけてもらったことで、自分がやってきたことがしっかり届いていたのだと感じることができたんです。

ナスコンバレー事務局長・八木澤さん(左)と

自分の経験を会社と地域に還元していきたい


——村田製作所に戻られてからはどんなことをされていますか?

ありがたいことに、上司からは「すぐに元の仕事には戻らずに、半年間は移籍のことを整理し、それを生かすために活動する時間として使っていいよ」と言ってもらっています。今は、移籍期間中のことを振り返り、自分が何を得たのか、それをこれからどうやって業務に生かしていくかを考え、そして活動しているところです。

——具体的に考えられていることはありますか?

はい。いくつかやりたいと思っていることがあります。一つは、レンタル移籍に代表される社外での経験の機会を増やしていきたいですね。私自身、移籍を経験したことで、外に学びに行くことにはとても意味があると感じています。会社のメンバーがもっと外に学びに行けるような環境作りをしていきたいです。

実際に、私が外の環境を経験して良かったなと思ったことの一つに、自分の行動特性を客観的に見られるようになったことがあります。追い詰められたときに、ついついしてしまう行動や発言にその人の本質が出ますよね。私の場合はネガティブな面が出てしまっていた気がします。そうした自分の本質を客観的に見ることができたのは、大きな収穫でした。

——自分自身と向き合うきっかけになったのですね。

はい。自分と向き合えたことで、それをどう変えていけばいいのかを意識するようになりました。これからの自分の行動を変えていくことで、次のステップでは会社や社会に対して、移籍を通して得たものを還元していきたいと思っています。

もう一つやりたいのは、地域貢献です。村田製作所自体が社会課題や地域課題に対しての取り組みが加速しています。私が所属している部署でも、開発部門として地域貢献を起点とした取り組みが検討されており、まだ小さなグループですが私もその中で活動を開始しています。

——地域貢献の活動は、まさに岡村さんがSUNDREDで経験されてきたことですね。

そうですね。もちろんもっと経験を積まなければなりませんが、地域の中でのネットワーク作りなど、SUNDREDでの経験が生かせると思います。

ナスコンバレーに関わったことで、地域貢献は企業と地域がWin-Winの関係を築きながら、持続性のある仕組みやアイデアを設けることができる、またその活動の中から新たな事業を創造できる可能性があると考えるようになりました。私たちに何ができるのか、地域の方たちと対話をしながら見つけていくつもりです。実際に社内外を問わず、少しずつ考えに共感してもらえるメンバーの輪ができ始めていて、SUNDREDで経験した対話を起点とした共創が始まろうとしているのを感じています。

——ここでも対話が大切になりそうですね。

はい。村田製作所に戻って来てから、部署のメンバーからは「変わったね」と言われたことがあります。自分ではどこまで意識できているのかわからないのですが、移籍によって対話の仕方にも変化があったようです。「柔らかくなったね」とも言われるので、聞く姿勢ができたのかもしれません。そう言ってもらえると嬉しいですね。

——最後に、今後の抱負を聞かせください。

ベンチャーで働いてみて学んだのは、とにかくどんどん行動することの大切さです。仮説を立てて、それを動かしながら修正していく。SUNDREDで、仮説思考ですぐに行動する人たちを見てきたので、私のマインドセットも変わりました。実際に地域貢献の活動についても、すでに仮説を立てて、それをどう深掘りしていけばよいかを検討しているところです。この地域で何が求められているのかを考えながら、新しいビジネスを生み出していきたいです。


移籍を終えてから3ヶ月経ち、「少しずつ自分の体験を整理できてきた」と話す岡村さん。その表情は、明るく清々しいものでした。移籍前に漠然と描いていた「社会貢献」「地域貢献」への思いが、ナスコンバレーでの経験によって、さらにはっきりと見えてきたようです。「自分が住んでいる地域に貢献しながら、継続していく活動に取り組んでいきたい」という夢に向けて、岡村さんは今、着実な一歩を踏み出しています。

Fin

【ローンディール・イベント情報】

11/21『出向起業』『レンタル移籍』の事例から探る、大企業で新規事業に挑む人材像

「出向起業」とは、大企業人材が、大企業のリソースを活用しつつ新規事業を立ち上げるための新会社を設立し、そこに出向して経営する仕組みです。今回のイベントでは、出向起業における資金および事業サポートを行う、出向起業スピンアウトキャピタルの奥山氏をゲストでお迎えします。
⇨ 詳しくはこちら

協力:株式会社村田製作所 / SUNDRED株式会社
インタビュアー:安藤 梢 
撮影:宮本七生
提供:株式会社ローンディール
https://loandeal.jp/

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