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「100%安全が当たり前」の環境から、不確実だらけのベンチャーに飛び込んで気づいたこと - JR東日本 白土英明さん -

「100%じゃなくてもいい。まだ70%だけど提案してみよう」。
新卒でJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)に入社し、駅員や車掌、運転士を務めてきた白土英明(しらと・ひであき)さん。「100%安全が当たり前」の環境から、「前例がないことこそチャンス」というベンチャーに飛び込んだことで、そんな発想が生まれた、といいます。

 運転士を7年ほど経験し、乗務員歴が長かった白土さんは、その後、海外で展開する鉄道事業に興味を持ち、海外鉄道コンサルティング事業を行うグループ会社に出向。3年間、ミャンマーでのODA案件を担当します。JR東日本に戻ってからも国際事業本部に在籍し、海外での鉄道事業に携わってきました。

そんな中、JR東日本国際事業本部は、ベンチャー企業での実務経験を通じて得られる実践的なビジネススキルの向上を目的に、レンタル移籍制度の導入に至ります。白土さんは、約15年間同じ会社に身を置いてきた自身のスキルや力量に疑問を抱き、ベンチャーで働くレンタル移籍を決意します。赴いた先は、多言語翻訳コミュニケーションサービスを提供しているKotozna株式会社。2021年8月から1年間、ベンチャーで働いた白土さんは、どのような発見を得たのでしょうか。

自分は他業種でも活躍できるのか?


――JR東日本では国際事業本部に在籍されていますが、もともと海外の事業に興味を持っていたんですか?

はい。大学時代、インドネシアの農村地域の水質をテーマに卒論を書いた際に、1ヶ月ほどインドネシアに滞在したんです。その時に、物事の考え方も生活スタイルも日本とまったく違うことを肌で感じて、将来的に海外のフィールドで仕事ができれば面白そうだと思っていました。JR東日本でも徐々に国際事業が活発化していって、参画できるチャンスがあるならやろうと。

――学生時代の思いが叶ったんですね。その中で、レンタル移籍を選択したのはなぜでしょう?
 
入社当時から漠然と、自分にはJR東日本以外の会社で働けるスキルが養われているのかなって感じていたんです。鉄道業界、特に乗務員は特殊な仕事で、「電車を停止位置できれいに止められます」と言っても、それだけでは他業種には対応できないですよね。鉄道に関する知識は増えていく一方で、この先、営業やマーケティングの分野に送り込まれた時に対応できるのかなって、単純に思ったんです。
 
そんな時に、導入が検討されていたレンタル移籍の話を聞いて、JR東日本に所属しながら外の会社で働けるなんてすごい仕組みだなと。「自分以外に適任はいない!ぜひ行かせてください!」と執行役員に伝えて、移籍させてもらいました(笑)。

――導入が決まっていない段階で、立候補したんですね。
 
漠然と感じていた不安の答え合わせが出来るいいチャンスだと思ったので。当時の上司も「一番風呂で挑戦するのはいいことだから、JRのことは気にせず行ってきなさい」と背中を押してくれたので、心置きなくチャレンジすることができました。それに自分が本当にやりたいことが見えなくなっていて、改めて探したいという思いもあったんです。いままでと違う環境に行けば、見つけられるんじゃないかと。

――ベンチャーに出向くことに不安は?
 
不安よりも行きたい気持ちの方が強くて。JR東日本ではアイデアが採用されても、いろんな部署との調整や意思決定権を持つ方への確認などがあって、実現までのプロセスが長いんですよね。その途中で企画の方向性が変わったり、最初の熱意が半減しちゃったりする。

それではスピード感のある企業にとても太刀打ちできない。そこを変えたいという思いがあったので、発想をバンバン実現していくイメージのあったベンチャーを体験してみたかったんです。

研修ではなく“転職する”気持ちで


――移籍先のベンチャーは、スムーズに決まりました?

 
それが…スムーズではなかったですね。
移籍前の研修で「3社志望すれば1社は通る確率が高い」と聞いたので3社選んだんですが、ことごとくダメで(苦笑)。
 
――その3社とは、相性が合わなかった?
 
相性もありますが、自分の研修感覚を見透かされたように感じています。面談でベンチャー経営者から「白土さんのやりたいことは?」と聞かれた時に、自分がその会社でできること、やりたいことを答えることができませんでした。「このベンチャーじゃなきゃダメなんだ!」という思いも薄かった。ベンチャー側からすると、余裕がない状況下で研修意識の人を受け入れてもメリットがないと判断されたのだと思います。
 
そこで、ローンディールの方と、今までの業務を振り返って、どんな仕事を行ってきたか、自分なりの仕事への取り組み方について棚卸しをしました。
そして、キャリアを言語化したことから、自分をPRする一枚紙も作って、面談前に志望動機と併せて送るようにしました。
 
――そこからKotoznaへの移籍が決まったんですね
 
Kotoznaのホームページには、「『言葉のカベ』という社会課題をソーシャルイノベーションとテクノロジーを活用して解消することを目指します」という代表・後藤さんのメッセージが書かれていたんです。国際事業の中で言葉が伝わらないジレンマを感じた経験があったので、感銘を受けて応募しました。
 
最大の決め手は、面談です。後藤さんは事前に私の志望動機書や経歴書を隅から隅まで読んでくださっていて、私自身キャリアを言語化したことで、自分の貢献できそうなこと、チャレンジしたいことを伝えることができたように思います。
 
その結果、「白土さんの経験は、まさに今Kotoznaが求めているものです。いつから来てくれますか?」と、おっしゃってくれました。
 
志望動機書などを読み込んでくれていることに感動して、私もその時点でここしかないなと、心は決まっていましたね。

(左から須田さん、CEOの後藤さん、移籍者の白土さん、石川さん、CMOの森尾さん)

「前例がないこと」のリスクとチャンス


――Kotoznaに移籍してからは、どのような業務を?
 
カスタマーサクセスチームに所属し、「Kotozna In-room」という宿泊施設向けの多言語コミュニケーションツールを担当しました。主な業務は、宿泊施設のスタッフの方々に使い方を説明するオンボーディング、ツール利用で積み上げられたデータの見える化といった部分です。

――後藤さんは、白土さんのどの部分がKotoznaの求めるところだと感じていたのでしょう?
 
オンボーディングの部分だったかと。ミャンマーのODAプロジェクトに携わっていた頃、現地の鉄道会社の方々に向けたセミナーで、講師としてサービスの必要性や日本での事例などを話して回っていたんです。その経験を評価していただいたのだと思います。駅員や乗務員の時代にも、「いかにわかりやすく情報を伝えるか」ということを追い求めていたので、その意識はオンボーディングでも役に立ちましたね。
 
もちろんツールの仕組みはイチから勉強しましたが、もともとITに興味があって勉強していましたし、パワーポイントなどを使って資料をつくるのも好きだったので、オンボーディングに関しては苦労せず、楽しんで取り組めました。
 
――移籍してからは、順調そうですね。
 
いや、実はエンジニアさんとの日々のやり取りで、うまく意識合わせができないと思うことがありました。「Kotozna In-room」は旅行会社経由で宿泊施設に提供しているのですが、毎日のように旅行会社から不具合の連絡が届いていました。
 
旅行会社は当然売り手として100%のものを求めていて。私もその考えに納得というか、運転士の経験上“ミスはお客さまの命にかかわるから、サービスは100%で提供することが当たり前”という意識が根づいていたので、「こんなに不具合が多い製品をリリースして大丈夫なのか?」と思っていました。
 
一方で、エンジニアの方は「早くアイデアを市場に出すことを重視しているから、クリティカルな不具合がなければ70%の完成度でリリースしたい」と話していて、そんなやり方で許されるのだろうかと思っていました。
 
だって、大企業では「前例がないことはリスク」と言われてしまう。もちろん不具合があることもリスク。でも、スタートアップは「前例がないことこそチャンス」と捉えているんです。他社に先駆けて製品をリリースし、市場でイニシアティブを取ることが大前提で、逆にリリースできないことがリスク。不具合は少しずつ修正していけばいいと。
 
最初は理解不能でしたが、エンジニアの方々と議論を重ね、彼らの考えが理解できるようになると、とても腹落ちしました。そんな葛藤を経て、どちらの立場も経験している自分ならKotoznaと旅行会社をつなぐ橋渡し的な役割になれるんじゃないかと、新たなミッションが生まれたんです。そこから、実際に両社の間に入って調整するようなポジションを担うようになりました。

現場へ飛び込んで見えた、はじめての景色


――移籍中、他につまずいたことはなかったですか?
 
ドーンと気持ちが沈んだ時期がありました。移籍開始から3ヶ月くらいで、メンターの方から、「移籍してから何もやってないじゃん」って言われたんです(笑)。
 
オンボーディングやデータの見える化に取り組んでいましたが、そう言われてみると、確かに、ゼロイチで何かを考える、JR東日本の延長ではない部分で何かを見出すってことはやってなかったなと。そこでどうしたらいいか分からなくなり、気持ちが落ち込んでしまったんですよね。

――その状況は抜け出せました?
 
抜け出せたのは、それから2ヶ月後くらいですかね。KotoznaのCMO・森尾さんから、「新製品の事業計画書をつくってみて」と言われたのがきっかけです。
 
事業計画書をつくると、その製品がKotoznaのどういうミッション、ビジョン、バリューに基づいてできたものか、誰をターゲットにしてどういう売り方をしていくかなど、いろいろなことを考えなきゃいけないんだとわかったんです。いままでの自分はバリューの先の施策の、そのまた先の打ち手しか見ていなかったなと。

――事業を俯瞰して見ることで、新たな気づきがあったんですね。
 
そう、構造化すると足りない部分が見えてくるんですよね。そのひとつとして気づいたのが、つくり手であるKotoznaが使い手の宿泊施設からもっとも遠い位置にいること。「喜んでもらえるだろう」と思ってつくった製品も、オンボーディングで宿泊施設の方の話を聞くとニーズから少しズレていることがわかって、その原因は距離が遠いことにあると感じたんです。
 
そこで、エンジニアを中心としたメンバーで「Kotozna In-room」を導入している宿泊施設に泊まり、エンドユーザーとして使ってみる施策「エンジニアサーベイ」を提案しました。これがすごく好評で、エンジニアの方々が現場で得た気づきをもとに「この不具合はすぐ修正しよう」「このホテルにはこういう機能も必要だよね」と、生き生きとディスカッションする顔が忘れられないです。

旅行会社から依頼される不具合修正は、自分の目で見ていないエンジニアにとっては実感が湧かないんだろうなと感じていましたが、サーベイ後は現状と自分たちのイメージのすり合わせが出来たことで納得感が生まれ、製品の品質も修正のスピードも上がっていきました。

――白土さん発信の施策で、大きな変化が生まれたんですね。
 
もうひとつ、宿泊施設へのメールマガジンも発案しました。
「他の施設での活用法を知りたい」という問い合わせが多かったので、聞かれる前に発信すればいいじゃないかと。

導入事例を蓄積している旅行会社と連携し、効果的な事例をメルマガで発信し始めると、「この事例を真似したい」という施設が増えたんです。カスタマーサクセスの根幹である能動的なアプローチをすることで、使い手の成功体験につなげられたのではないかと感じています。

“ビジネスライク”では通用しない


――改めて、レンタル移籍を経て、一番の学びは何でしたか?
 
ビジネスを進める上で“ビジネスライク”なコミュニケーションでは何も生まれないということですね。
 
Kotoznaと旅行会社で定期的にミーティングを行っていたんですが、決まったアジェンダに基づいた予定調和の報告会のようになっていて、ワクワクしなかったんです。そこを変えたいなと。

――動き出したんですね。
 
はい。それまでは定型に沿ったような受け答えが多くて。

たとえば、先のスケジュールについて話す時、「その件は○月○日を目処に進めてます」と伝えて終わりだったんです。でも「今のペースで進めば○月○日に出せますが、この部分の修正がやや手間取っているので、ズレてくる可能性もあります」と、プロセスを含めて出せる情報をすべて伝えることを意識しました。
 
そうすることで互いに現状の理解が早くなりましたし、相手も同じような情報を伝えてくれるようになったんです。どんな便利なツールを使おうが、結局場面ごとに仕事を動かしていくのは人なので、面白い発想も改善点も進捗も何でも言い合える関係を築くことが、ビジネスを進めるコツなんだとわかりましたね。

(左から、高岡さん、移籍者の白土さん、マティアスさん、酒井さん)

やりたいのは「人と人をつなぐ橋渡し」


――戻ってから、ベンチャーでの経験は生かせていますか?

 
そうですね。今はアジア地域鉄道というグループで業務をしています。
これまでは何をするにしても慎重というか、考えすぎてしまう部分があったんですが、移籍を終えてからは肩の力を抜いて、「まだ70%の段階だけど提案してみよう」という考え方で動けています。100%になってから表に出すより、小さい範囲でちょこちょこ修正しながら肉づけしていく方が、不具合があった時にダメージが少ないことも実感しています。

――まさに100%ではなく70%の部分ですね。移籍前の目的でもあった、これまで培ったスキルが外でも通用するのかというモヤモヤは晴れました?
 
はい、これまでのスキルが生きる部分はすごく多いことがわかりました。資料作成もそうですし、何より人材やスケジュールの調整スキルがKotoznaでも生きたなと。JR東日本では部署をまたいだ調整がすごく大変なので、いつのまにか基礎力が養われていたのだと気づけました。
 
JR東日本での経験や培ってきたベースがあるから、ベンチャーに行っても適応できたという実感があるので、モヤモヤは消えました。
 
――見失っていたという「やりたいこと」は見つかりましたか?
 
はい、見つかりました(笑)。交わることのなかった業界や部署など、違うポジションの人たちの間に入って、それぞれのいいところを理解しながら仲介し、うまくつながった時に喜びを感じる自分に気づいたんです。自分がやりたいことって“橋渡し”なんだと、明確になりました。
 
国際事業本部でも日本と海外、各国の担当者同士などをつなぐ、社内の部署間をまたいで協力を得るといったことをしていきたいです。

――白土さんのパワーが発揮されそうですね。

はい。移籍を通じて、これまでとは違う立場で仕事に携わったからこそ、自分の思いに気づけたと思います。後藤さんからは、「白土さんに決めたのは間違いではなかった」と言っていただき、自信にもなりましたね。外でもやっていけるって。
 
やっぱり同じ会社で15年も働くと、考えが凝り固まるフェーズに入ってきてしまうので、今回、外に出て新たな視点や考え方を学べたことは、とても貴重だったと。今改めて、このタイミングで行って良かったなと感じています。

最初は、「前例がないことはリスク」というこれまでの考え方から「前例がないことこそチャンス」というベンチャーのギャップに悩んだ白土さんですが、向き合った結果、フットワーク軽くビジネスに取り組めるようになったようです。“人と人をつなぐ”という目的を見つけた白土さんは、国際事業においても活躍し続ける人材となっていくことでしょう。

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協力:東日本旅客鉄道株式会社 / Kotozna株式会社
インタビュアー:有竹亮介(verb)
提供:株式会社ローンディール

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