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「一歩踏み出すことで、自分の仕事の『枠組み』を越えていく」日本特殊陶業株式会社 伊藤 夏海人さん

「この先の光を見出す一歩になれば、と挑戦を決めました」
自動車部品のサプライヤーである日本特殊陶業株式会社で、自動車メーカーへの営業をしていた伊藤夏海人(いとう・なみと)さん。世界的なエネルギーの脱炭素化に向けた流れを受け、会社は大きな転換期を迎えていました。30歳を目前にした伊藤さんがレンタル移籍にチャレンジしようと決めたのは、自社で「新規事業を生み出すための一歩を踏み出したい」という思いからだったと言います。移籍先は、世界初となる排泄予測デバイス「DFree」を開発したトリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社。「自分の仕事はここまで」と線引きせずに、次々と新しい領域に挑戦していった伊藤さんの、1年間の軌跡を追います。

「会社を変えていくのは自分たちの世代だ」

——日本特殊陶業ではどんなお仕事をされていたのですか?
 
入社して6年半、ずっと営業の仕事をしてきました。日本特殊陶業は、自動車部品を製造・供給する会社です。メインの商材は、エンジンに使われている点火プラグや、排気ガスの酸素濃度を調べる酸素センサなどの部品で、私は自動車メーカーに対して、それらの製品を組み付けてもらうための営業をしていました。営業の仕事は、とても楽しくやりがいもあって、自分にすごく向いているなと感じていたんです。
 
——レンタル移籍をしようと思われたきっかけは?
 
「このままではいけない」という危機感があったからです。というのも、世界的なエネルギーの脱炭素化への流れを受けて、当社は大きな変革を迫られていました。日本特殊陶業の主力製品群は内燃機関といって、ガソリンエンジンに使われる製品がほとんどです。
 
ところが、今後さらに電気自動車(EV)などの開発が進めば、当社の製品のマーケットが縮小する可能性があります。もちろんまだまだ終わりが見えているわけではないものの、エンジン自動車の販売のピークは既に予測されています。
 
そうした背景から日本特殊陶業では、2040年までに内燃機関向け事業と非内燃機関向け事業のパーセンテージを逆転させるという長期目標を発表しました。社内には「同じことばかりやっていてはダメだ」「新しいことにチャレンジしていこう」という気運が高まっていて、次々と新規事業がスタートしています。
 
その取り組みの一環として募集されたのが、ベンチャー企業へのレンタル移籍だったんです。新規事業をリードしていく次世代の人材を育てようというのが目的。公募を見て、すぐに手を挙げました。
 
——全く違う環境での挑戦に、迷いはなかったですか?
 
なかったですね。「行くしかないでしょ」と思っていたので、全然悩まなかったです。おそらく若手社員の多くが、私と同じように危機感を持っていたはず。今の状況に不安はあるものの、でも、それを変えていくのは自分たちの世代だという気持ちもあって。だからこそ、この先の光を見出す一歩になれば、と挑戦を決めました。
 
——移籍を通して、どんなことを身に付けたいと思われましたか?
 
新規事業に取り組むにしても、何の知識もない状態だったので、まずは新しい製品やサービスを生み出している場所に身を置きたいと思ったのが一つ。
 
もう一つは、さまざまな業務に関わりながら、マルチタスクをこなすスキルを身に付けたいと思っていました。日本特殊陶業では部署ごとの役割がはっきりしていて、事業全体を把握、経験できる機会はほとんどありません。だから、ベンチャー企業でマルチタスクを経験することで、自分ができる業務の幅を広げたいなと。部署内だけではなく、会社全体を俯瞰して見られるようになれば、新規事業を組み立てるときの一助になるのでは、という期待がありましたね。
 
——数ある移籍先の中からトリプル・ダブリュー・ジャパン(以下、TWJ)を選ばれたのはなぜですか?
 
誰も聞いたことがない技術やアイディアで、世界を変えようとしている会社がいいなと思って探しました。TWJが開発した「DFree」という排泄予測デバイスは、まさにこれまでにない発想から生まれた製品です。世界を変えるようなインパクトがありますし、TWJが掲げる「世界を一歩前に進める」というミッションにも共感しました。
 
——DFreeについて詳しく教えてください。
 
DFreeは、世界初の排泄のタイミングを予測するデバイスです。超音波センサーで膀胱の中の尿のたまり具合を測定し、一定のラインまで来ると通知音でお知らせする仕組みです。サージカルテープでできた装着シートを直接肌に貼り、シートに付いているホルダーにDFreeをはめ込んで使います。大きさは500円玉2枚弱で、重さはわずか26g。この商品をいかに必要としている人たちに届けるかが、私の使命でした。 

自ら製品を装着したことで、その必要性が実感できた

——ベンチャー企業で働いてみて、いかがでしたか?
 
私が入社したときは社員が15人ほどだったのですが、少ない人数だからこそ、それぞれが能動的に動いていたのが印象的でした。誰かから仕事を振られたり、指示されたりすることがほぼなかったので、

「私は何をすればいいんだろう……」

という戸惑いも。最初はめちゃくちゃ焦りましたね。
 
驚いたのが、とにかく全てにおいて対応が早かったこと。社内のやり取りに使うSlackでは、常にいくつもの話題が同時進行していて、みんなが動きながらレスポンスをしているような状態でした。ベンチャー企業ならではのスピード感を体験したいと思ってはいたものの、想像していた以上の速さだったので「とんでもないところに来てしまったな」と(笑)。
 
——最初は焦りがあったんですね。そのなかで、伊藤さんはどんな仕事をされていたのですか?
 
移籍前半はDFreeの法人向けの営業と、おむつや尿とりパッドといったプライベートブランドのEC販売を担当しました。右も左もわからないので、はじめのうちは介護施設で働くさまざまな職種の方たちに対して、誰にどんな話をすれば響くのか、なかなかつかめず苦労しました。飛び込み営業もたくさんしましたし、同じ施設に何度も足を運んで、どういう説明をしたら製品についてわかってもらえるのかを探っていきました。
 
また、営業をするためには、製品の使い方やデータの読み取り方、精度などを知っておく必要があります。そこで、実際に自分でもDFreeを使ってみたんです。
 
——伊藤さんも装着してみたんですか?
 
そうなんです。ずっと付けていました。でも、それは僕だけじゃなくて、実は代表の中西さんも含めて、社員みんながDFreeを装着しながら仕事をしていたんです。だから、仕事中に排尿のタイミングが来れば、通知音が鳴ることも。あちこちでピンポン、ピンポン鳴っていましたよ(笑)。自分たちで使うことで、使い方の説明もより詳しくできるようになりますし、機器の性能を高めていくこともできます。
 
それに、実際に使ってみると、その精度の高さに驚きました。純粋に「すごいな」と。排尿に困っている人たちにとって、この製品は絶対に必要なものだと確信が持てたんです。「もっと多くの人に届けたい」と思えたことで、営業のモチベーションも上がりました。
 
——営業をしている中で印象に残っていることはありますか?
 
一番嬉しかったのが、利用者の方のリアルな感想が聞けたことです。ちょうど介護施設でトライアルを実施しているときに、目の前にいた利用者の方の通知音が鳴って。介護士さんに連れられてトイレに行かれる様子を、ドキドキしながら見守りました。
 
すると、無事に排尿ができたようで、嬉し涙を流されていたんです。そのときは、思わず「やった!」と心の中でガッツポーズをしましたね。人にとって自分で排尿できることが、こんなにも喜びにつながるのだと、改めて気付かされた経験でした。

トリプル・ダブリュー・ジャパン 代表・中西さん(左)と、伊藤さん(右)

「やらなければならない」ではなく、自分の仕事として「やりたい」

——法人への営業と同時に、プライベートブランドのEC販売も担当されたとか。未経験からの挑戦ですよね。
 
実は移籍した初日に、いきなり楽天でのプライベートブランドの販売を担当することが決まって。その翌日にはコンサルタントとの打ち合わせがありました。代表の中西さんからは、「伊藤さんがどんどん決めてください」と言われて(笑)。自分の力が試されているのを感じて、その日は冷や汗をかきながら全力で対応しました。
 
——いきなりの抜擢で、プレッシャーもあったのでは。
 
もちろんプレッシャーは感じました。でも、はっきり責任者だと言ってもらえたことで、

「自分がこの事業を進めていくんだ」

という覚悟が決まった気がします。もしかしたら、それがなければ最初は様子を見ながら、お客様のように参加してしまっていたかもしれません。初日から当事者意識を持って仕事ができたのは、責任ある仕事を任されたからだと思います。
 
それに、やるからには「期待に応えて信頼してもらえるようになりたい」という気持ちで、やる気にメラメラと火が付いたんです。
 
——具体的にはどんな動きをされたのですか?
 
Webマーケティングの基礎から学ぶために、ネットで調べたり、本を読んだり、楽天で配信されている動画も片っ端から見ていきました。初めは専門用語も分からなかったのですが、1ヶ月が経つ頃には、言葉や数字の意味も理解できるように。何をすれば商品が売れるのかを、ページ構成や導線、価格、メルマガ、広告など、あらゆる施策で試しました。
 
その効果が出たのが、のちに展開した楽天スーパーセールです。予想をはるかに上回る売り上げを達成しました。
 
——戦略が見事にはまったんですね。

 
1日に1,000件以上を発送する日もあって、社員総出で3、4時間は作業をしていたと思います。もうお祭り状態でしたね(笑)。僕もフル稼働で、昼食をとる暇もないような状態が、1週間は続きました。
 
自社で発送作業をしていたので、出荷用の商品が入った段ボールがどんどん積み上がっていって。一時は、3フロア分のエレベーターホールと、会議室が段ボールでいっぱいになりました。
 
——その頃には、最初に感じたスピード感にも慣れましたか?
 
慣れたというよりは、早く決断して行動しなければ結果は出せない、という感覚に近かったかもしれないです。
 
たとえば、昼間に「この画像を変えたい」「このクーポンを展開したい」と思い付いたときには、その日の夜までに反映できるように、すぐに動きました。商品が売れるのは夜の時間帯だったので、それまでに変えられなければそのひと晩を売り逃すことになるからです。
 
自分でも面白かったのが、「夜までにやらなければならない」のではなく、「自分の仕事だからやりたい」と頭が切り替わっていたこと。「売り逃しがもったいない」という気持ちが強かったんです。だから、やらされている感は全くなかったですね。
 
——結果も出て、セールは大成功ですね。
 
ただ、自社での受注・発注作業には限界を感じました。次のセールまでに受注から配送までの業務を外注しようと考え、すぐに社長に提案したんです。
 
そこから事業者を選定し、稼働させるまでのオペレーションには、日本特殊陶業でのノウハウが活かせたと思っています。情報をまとめて請け負ってくれる会社を比較し、現場の視察を経て1社に決定。2ヶ月という短期間で稼働までこぎつけることができました。
 
外注したことによって、自社での発送作業は一切なくなりました。効率化につながってやり切った感がありましたね。
 

  仕事の「枠組み」を越えられた瞬間


——移籍後半に入ると、さらに仕事の範囲が広がったそうですね。
 
法人向けの営業とECサイトの運営を進めるなかで、当初、身に付けたいと考えていたマルチタスクはこなせるようになっていたと思います。ただ、どこかでその2つの業務が「自分の持ち場だ」という感覚になっていたところもあって。それ以上に仕事を広げようという動きは、できていなかったんです。
 
そんな時にきっかけになったのが、DFreeを特定福祉用具として販売する新ビジネスの立ち上げでした。厚生労働省から特定福祉用具の認定を受けたことで、介護保険適用の対象になり、要介護認定者は1~3割の負担で購入できるようになる。TWJにとっては大きな躍進のチャンスでした。
 
——新ビジネスの担当を任されたのですか?
 
はじめは一歩踏み込めずにいたんです。というのも、「僕はEC販売の担当だし……」と、自分からやりたいと言えずにいて。どこかで「自分の仕事はここまでだ」という枠組みを決めてしまっていたんでしょうね。
 
でも落ち着いてきたタイミングで、COOの小林さんに「自分にもやらせてほしい」と伝えました。小林さんは私が言い出すのを待っていたようで、「もっと早く入ってきてほしかった」と。それで、「プロジェクトをリードするつもりで、どんどん巻き取ってください」と言われました。
 
遅くはなりましたが、自分の枠組みを越えられた瞬間でした。
 
——自分から仕事の範囲を広げていったんですね。
 
今思うと、チャンスはそこらじゅうに転がっているんですよね。常に見えるところでいろいろな案件が進められている。やりたいと思ったら手を挙げることに遠慮はいらなかったんです。それに気付けたことで仕事に対するマインドが大きく変わりました。
 
——新ビジネスではどんな仕事をされたのですか?
 
特定福祉用具としてDFreeを販売するために、まずは特定福祉用具を販売できる販売店との契約を進めていきました。どんなビジネスモデルで販売していくのかを決め、見積書や契約書、発注書のフォーマットなどを一から作成。HPのランディングページを作り、販売店向けの勉強会やオンラインでのセミナー、全国でのデモも実施しました。
 
私が事業責任者となり、自治体への働きかけにも力を入れました。そうした一連のやり取りを通して、全体を俯瞰する視点を持てたことはいい経験でしたね。特定福祉用具での販売がスタートして以降、契約台数は日ごとに増え、年間500台を超える受注につながりました。
 

——すごいですね。移籍期間中、走り切った印象ですが、改めて振り返っていかがでしたか。
 
間違いなくターニングポイントになった1年でした。「自分の仕事はここまで」という枠組みを決めずにどんどん広げていくことで仕事は楽しくなる。それに気付けたのは大きかったです。とにかく事業を前へ前へと進めていくのが楽しくてしょうがなかったですね。
 
また、移籍期間中はメンターの椿さんがずっと伴走してくれていました。月に1回の1on1では、とにかく褒めてくれるんです(笑)。自分がやっていることを肯定してもらえたので、安心して突き進むことができました。

誰でも「一歩踏み出せる」組織を作っていきたい


——日本特殊陶業に戻られてからは、どんなお仕事をされていますか?
 
所属する事業部は変わっていないのですが、そのなかでも営業部門から、新規ビジネスに関わる部門に異動しました。せっかくベンチャー企業で経験を積んだので、それを生かした仕事をしたいと、自ら希望を出したんです。
 
現在は、モビリティ領域での新規事業に関わっています。特に整備業界に向けて、これまでにない製品やサービスを作っていきたいと考えています。
 
——今の業務に移籍の経験は生かされていますか?
 
100%生かせていますね。移籍中に、事業責任者として販売までのルートを開拓したことで、どういうビジネスプランを作ればうまく運用できるのかが分かるようになりました。アイデアだけで「これはいいね」と終わるのではなく、それを実現させるための道筋が見えるようになったんです。
 
今の部署には、私以外に新規事業のローンチ、運用まで関わった経験のある人がいないので、みんなを引っ張っていく役割が果たせていると思います。まだまだできていないことも多いですが、私がリーダーとして目標にしているのが、TWJのCOOの小林さんです。明確なビジョンがあり、それに対してどんなアクションをすればいいのかを示すことができる。その背中に少しでも近付きたいなと思っています。
 
——目指すリーダー像があるんですね。移籍を経て、周囲の皆さんからの反応はいかがですか?
 
「言葉の説得力が増したね」と言われます。

私自身、実際に体験したからこそ言えることがあると感じていて。外の世界に飛び出して、できる仕事の幅が広がったことが説得力にもつながっているのではないでしょうか。目に見えない部分ですが、周りの人たちに伝わっていると思うと嬉しいですね。
 
——これからの目標を教えてください。
 
移籍を通して、「自分の仕事の枠組みをどんどん越えていこう」というマインドになったので、私と同じように枠を飛び出して仕事ができる人材を、もっともっと増やしていきたいです。すでに社内の若手に向けてインプットを目的とした報告会を開いたり、部門を超えてアイディエーションを実践するチャレンジ企画を主導したりと活動を始めています。
 
部署の垣根を越えて同じ目線を持っている人たちが集まれば、きっと新しいことができるはず。それが新規事業を生み出すことや、強い組織を作るための一歩になると考えています。

 自分の仕事の枠組みを飛び越え、さらにそれを広げていく経験をしたことで、一回りも二回りも成長したという伊藤さん。「今の仕事に、移籍の経験が100%生かせている」と言い切る姿からも、この1年を通して得た自信が伝わってきます。「もしまた移籍の機会があったら、行きたいですか?」と聞くと、「行きたいです!」と即答していたのも印象的でした。仲間を増やしながら、新しい事業にチャレンジしていく伊藤さんのこれからの活躍を応援していきたいです。
 
Fin

協力:日本特殊陶業株式会社 / トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社
インタビュー:安藤梢
撮影:宮本七生
提供:株式会社ローンディール
https://loandeal.jp/

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