部下の挑戦を”止めない”伴走型マネジメントのコツ
応援のきっかけは、会社を変えるための一大プロジェクトのプレゼン
—水谷さんは、3年近く慣れ親しんだ府中事業所を離れ、2023年10月から東芝本社の生産推進部に異動し、勤務場所も浜松町の本社に変わったそうですね。今日は取材のために府中事業所まで来ていただき、ありがとうございます。
水谷さん(以下、水谷):異動してからも府中事業所には度々顔を出しているんですよ。今は本社で、全国の各拠点の設備や工数の管理などを行っているんですが、府中事業所での経験を活かしたアドバイスができる。だから、今の府中事業所の様子を見たり聞いたりすることも必要なんです。
高山さん(以下、高山):僕とも、2週間に1回オンラインで1on1しようよって、予定を入れられてます(笑)。
水谷:今は部下じゃなくなったけど、彼が今はどんなことをしているのかは気になるし、お互いの職場の情報交換も必要だからね。
ー配属が変わっても親しいお2人ですが、上司と部下の関係になったのはここ2年半くらいのことだとか。その前から、水谷さんは高山さんを応援されていたそうですね?
高山:僕が2019年に始めた「JIKKEN Company」という取り組みをすごく応援してくれていました。府中事業所をより良くしたい想いと、そのために活かせそうなイラストや動画制作などのクリエイティブなスキル(高山さん曰く”特殊能力”)を持った社員を、部門も超えて集結させ、様々な部門のお困りごとを解決するための社内仮想ベンチャーなんですが、「いい取り組みだから、困ったことがあればいつでも俺に言え」って言ってくれて…(笑)。
水谷:高山さんが入社3年目くらいの頃から、お互い認識はしてたよね。当時、自分は製品部にいて、高山さんは府中事業所の企画・管理側から新しい設備の投資計画を説明してくる立場。製品部と事業所のどちらが費用負担するかなどの交渉もあるシビアな場で…。何人かいる中で、とんがりまくってる若手がいるなぁって(笑)。
でも、JIKKEN Companyを始めるっていう時は、その頃の印象とは全然違った。自分の思いを突出させて新しいことをやろうとしているのを感じて。それを潰すと良くないと思ったんだよね。みんなが考えないようなことだし、考えたとしても実行に移すまでできる人はいないから、すごいなぁと思って応援していました。
挑戦中の悩みも”受け止め”、最後は”委ねる”
ー本業の傍ら、JIKKEN Companyとして活動したのち、高山さんは2022年からレンタル移籍に挑戦をします。
高山:レンタル移籍に行く前の3年間は、JIKKEN Companyをやりながら、社内フリーランスと勝手に名乗って部門を転々としていたんです。スタッフの僕には製品部の気持ちや課題感が全然分からなかったので、3つの製品部門にそれぞれ半年ごとに行かせてもらって。そんな時に、所属部署の直属上司である課長から「そこまで転々とするんだったら、レンタル移籍(東芝内での制度名は『社外留職』)っていう制度があるから、せっかくだから外に行って来なよ」って話があったんです。
水谷:自分は、彼が職場を転々としてる間に、彼の所属する企画・管理部の部長になっていました。レンタル移籍の制度を知った課長から、これは高山さんにいいだろうと相談があって、自分も直感でいいなと思って。
高山:課長に加えて、東芝でレンタル移籍を導入しようと奮闘していた、当時の人事担当者からも、実験台になってくれない?と、挟み撃ちにされて(笑)。その人事担当者とは、ミドル層向けの組織開発支援や働き方改革アワード支援などの仕事をJIKKEN Companyに依頼してもらうなどの関係があったんです。
水谷:そういう人との繋がりが強いのが彼の強みだよね。色々なプロジェクトのリーダーはたくさんやって来たけど、経営的な視点で人やお金を管理する経験はなかったから、小規模なベンチャーに行ってそんな経験ができたらいいんじゃないかと思っていましたね。
ーそうして高山さんがレンタル移籍先に選んだのは、コアメンバー10数名のオマツリジャパン。お祭り専門の広告代理店のような事業を行う同社でも、楽しみながら挑戦されていたのでしょうか?
高山:途中でレンタル移籍を中断しようかと悩むくらい苦しいこともありました。経営メンバーと現場の両方から悩み相談を受けたりしているうちに、自分がどうすればいいのかわからなくなったりして。でも、そんな時に水谷さんと飲みに行って、リタイアするのはやめようって思ったんです。無理に頑張れとかも言わなかったし、「最後は高山が考えていいよ」って言ってくれたので、進まないといけないって思えたんです。
水谷:あの時はもう、「中断したいと思ったら自分で決めろ」っていう気持ちだったかな。人に言われて途中でやめろなんて言われても納得いかないですよね。本当に危ないと思ったら、ローンディールの人が言ってくるだろうとも思ったし。
高山:自分が上司だったら、ストップさせようと誘導してしまうかもしれない。部下に委ねるってすごいことなんだろうなって思いました。そこから切り替えて、仕事そのものはもちろん、誰よりもオマツリジャパンのことを考えて行動しようと頑張りました。
水谷:あれを乗り切ったのがすごいよ。
人が一番、任せて伴走するマネジメントスタイル
ーどんなシーンでも、部下の思いを大事にし、新しい取り組みも積極的に応援する水谷さんですが、人を大事にする姿勢は、何かきっかけがあってのことなのでしょうか。
水谷:きっかけは、40歳くらいで課長になった時に、入社1年目の実習生を受け入れて、よく喋るようになったことでしょうか。海外営業希望でTOEICは何点です、とか、将来やりたいことの話を聞いたりして、自分はそういうこと考えたこともなかったから楽しかったし、ずーっと話を聞いていたのが大きなきっかけ。
当時の実習生とは今も繋がっていて、全国の拠点にいる彼らと出張のついでに話そうっていうと、1人5分ずつでも20人もいれば、気づけば何時間も経ってたり。
高山:府中事業所でも、昼休みになると、若い社員何人かが水谷さんを囲んでいました。今も水谷さんがたまに来るってなると、よく見かける光景ですね(笑)。
水谷:はじめは2人で昼休みにご飯を食べよう、から始まったはずが、どんどん人数が増えていってるよね(笑)。
ー付き合いが長く続いていたり、面倒見の良さは昔からなのでしょうか。
水谷:やっぱり実習生と会って話すようになってから。それまでは、毎日、会社と家を往復するだけの、至って普通の会社員。前向きな話をずっと聞いてたら、自分もこのままじゃだめだ、何か違うことしなきゃって気持ちにもなって、カンボジア支援のボランティアを始めて、もう6・7年になるかな。人の挑戦を応援するなら、自分も何かやらなきゃって。実習生たちを見ていて、夢を持っていたり、やりたいという前向きな気持ちでいたら、どんなに辛いことがあっても乗り越えられると思ったからね。
ー高山さんに限らず、色んな方の話をよく聞いてるようですが、聞き過ぎて疲れたりしないのでしょうか。
水谷:疲れた〜とは思いますけど(笑)、話を聞くことでうちの会社がよくなれば、それが一番いいかな。ここ最近は離職率も気になるから、辞めるならまず相談してほしいし、そのためにも話をしたい。一人ひとり考え方も違うから、アドバイスするにもちゃんと聞いていないといけないのは大変ですけどね。
高山:色んな人との1on1をたくさんやってて、どこに作業する暇があるんだろうって感じなんですけど、合間にちゃんと承認とかしてて。このポジションの方には珍しく、すごいマルチタスクなんですよね。どんなに忙しい時でも、大事なメールへのレスポンスはめちゃくちゃ早いし、部下としても仕事がやりやすいです。
ー高山さんから見ていて、管理職としての仕事もたくさんある中でうまくマネジメントするコツは、その他にも何かありそうですか?
高山:やっぱり常に会話をしていることが大きいですね。例えば、何かの企画のための説明資料を作る時とか、作ろうと思っているイメージを事前に会話しながら共有しておくことで、資料が出来上がった頃には、「例の話してたやつです」って伝えればいい。
水谷:もうその時点では、会話は要らない。
高山:そうそう、言ってたやつ出来上がりました、チャットで送ったので確認してください、で終わり。そこはちょっとニュアンスが違うんだよねってところだけ、電話が来ることもありますが。普通だったら必要な、報告のためのアウトプット資料の作成とか、報告のためのスケジューリングが要らないから、上司側としても時間が取られないと思うんですよね。
水谷:はじめは2割か3割くらいの内容でも、ディスカッションしながら100に積み上げていくのがいい。普通は3割の資料を持って行ったら、こいつ3割しかできないんだって評価になっちゃうから、8割くらいの資料を持っていかないといけない。でも自分は、自然な会話の中で出来上がっていく方がいいし、作っていく過程の会話が大事だと思う。
高山:だいぶ任せてくれるんです。部下からすると、ここまでは任せてもらってるから、次に会った時にこれを話せばいい、とか、これは早めに報告しよう、といったバランスが取りやすい。会う頻度も高いので、わざわざ改めて報告するのは大事なことだけにしようって。
水谷:1時間の会話を1回で済ませるか、30分2回を別の日にやるかという話。自分としては、30分2回より、20分3回とか15分4回の方がいいんだけど。人間って、日が経つと考え方が意外と変わってくるから、考え方が変われば会話も変わってくる。そうするといい方向に変わって行くから。
ー任せるマネジメントは、結果的に効率もいいし、アウトプットの質も上がるってことなんですね。
高山:水谷さんにはいつも伴走してもらってる感じです。プロジェクトを進めていたら、いつの間にか一緒に走っていて(笑)、ちょっと方向が違ったら、もっと右の方だよ〜って言われて軌道修正するような。それが例えば、「おい、お前はどこに向かって走ろうとしてるんだ、一旦止まれ」と言われてしまうと、スピードも落ちてしまう。
水谷:自分のやり方で失敗する場合もあるけどね。あと、部下に任せようと思った時に大事なのは、お金の読み。そこは考えながら伴走しています。お金がどれくらいかかって、例えば今期中にかかるのか来期になるのか、これくらいなら大丈夫かなとか。そういった情報は頭に入れた上で会話する。本人とはお金の話は一切してなくても、経験上どれくらいかかるかは読める。どれだけ使えるか。それがわかってないと、このようなマネジメントはなかなかできないと思います。逆に言えば、お金さえわかっていればどうにかなるので。
元部下の強みを活かせる、今後のキャリアとは
ー現場のことを大事に考える水谷さん流のマネジメントは、ご自身が上司から受けたマネジメントの経験から来るものなのでしょうか。
水谷:そういうわけでもなくて。過去の業務を通じて、情報連携して、助け合いで進める大事さを痛感しているからかもしれません。自分のことだけ考えても、会社はうまく回りません。会社を良くしようって立ち回っていた結果、こういうスタイルになったのだと思います。
ー先ほども「話を聞くことで会社が良くなれば…」というお話が出てきましたが、「会社を良くしよう」の気持ちはどこから来ているのでしょうか。
水谷:今31年目で、30年間のうちに色々あったけど、辞めさせずにここにいさせてもらえているってことには、感謝してるんです。部長にもさせてもらえて、勉強させてもらったので、何か恩返ししたいなと。役職定年が近づいてきてるから、ここから先は、自分のやりたいことやろうかなと思っていて。今いる本社の中でも、それ以外のところでもいいから、仕組み的な改善をしたいなと思っています。あと、府中事業所だけでなく、高山さんが東芝内で活躍する場所がないか、本社にいながら模索もしてます(笑)。
ー高山さんも、水谷さんのように管理職になることを考えることはありますか。
高山:「マネージャーになるなら、こんなマネージャーになりたい」ってイメージすることはありますし、「マネージャーは1回経験してみろ」ってよく言われるんですけど、関心がないんですよね。例えば、会社全体が30人くらいの組織だったら、その組織をよくするためのマネジメントはやってみたいなとは思います。でも、東芝は10万人の会社なんで、10万人を動かすようなしくみを作る方が関心があるんですよね。そのために必要なのは権限よりも、影響力とかフォロワーの数だと思う。僕みたいな人がいっぱいいたら違う方向を考えますけどね。
水谷:彼の場合は、管理職というより、会社を変えるような大きなプロジェクトを進めていくタイプのリーダーなのかもしれない。イキイキできることをやってほしいな。
オマツリジャパンでの経験もしっかり活かして、社内発信をし続けていることもあって、府中事業所以外の知り合いもさらに増え続けているしね。
高山:今は、府中事業所独自の施策や活動などを東芝グループ全体に発信するメディアを立ち上げたり、オマツリジャパンで得たメディア運営の知見をフル稼働させてます。オマツリジャパンというキャッチーなネーミングも手伝って、僕のことを知ってくれている人も増えました。熱意持ってやってますみたいな話をすると、そういうこと言っていいんだっていう人がいっぱい出てきて、人脈は着実に広がっていますね。
水谷:そういう繋がりを大切にしていってほしいですね。高山さんの動きを若い世代がみんな見ているから。
高山:真面目にやります(笑)。
Fin
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