村田製作所の"越境トリオ”に聞く。「会社は思っているより、自由な場所だ」
会社は動きにくい場所。ではなかった
ーみなさん、三者三様、半年間異なるベンチャー・NPOで働いていたわけですが、だいぶ仲が良さそうです。いつ仲良くなったのでしょうか(笑)。
大塚:ベンチャー留学を通じて仲良くなりました。最初は西川さんが発信してくれたことがきっかけだったと思います。
西川:そうですね。みんな同期なのですが、僕が少し先行してベンチャーに行くことが決まったので、自分の得た情報をどんどんおふたりにパスするということをずっとやっていました。おせっかい焼きなので。要求されなくても勝手にやっていました(笑)。
大塚:それが、めっちゃ助かりました。
小河原:そうそう。「こういう手続きが必要だ」とか「こういうこと困った」とか、事前に準備しておくといい情報を共有してくれたり。だから、自分も何か返したいなという感じで、どんどんやりとりが続いて。
西川:落ち込んでいる時に話を聞いてもらったりもして、本当に助かりました。日本科学未来館にも一緒に行きましたよね。
大塚:僕の留学先であるBIOTA(バイオタ)が日本科学未来館で常設展示していたので、そこにおふたりも誘って一緒に見に来てもらいましたね。プレゼンの練習に付き合ってもらったりしました。
ー気軽に相談できる、状況を理解してくれる仲間がいるのは心強いですよね。ちなみに、みなさんはそれぞれ元々いた(村田製作所の)部門に帰ってきましたが、働き方や業務に何か変化はありましたか?
大塚:同じ部門に戻ってきたのですが、だいぶ変わった感じがありますね。正直、(村田製作所は)管理体制がしっかりしている分、自由に動けない会社だなって思っていたのですが、それが思い込みだということに気づきました。
僕は、地域で循環し活性化するようなビジネスモデルをつくって貢献したいと思っていました。そういう話を周りに言えるようになりましたし、いろんなところにヒアリングしたり、それを具現化する動きも進んでいます。これまでも誰に制限されたわけではないのですが「やってはいけない」と思い込んでいたようです。
小河原:わかります。ちなみに、自分はチームでものごとを進める良さを外で学んだので、「チームをどう良くしていくのか」ということに興味が生まれました。みんなが和気あいあいと「これがやりたい」って気楽に言い合えて、それをみんなでサポートできるようなチームが作れたらいいなって。外に出るまでは、ひとりでやる仕事が多かったので、そんな考えには至りませんでした。
西川:上司が「業務時間の20から30%を新しい取り組みに使って良い」と言ってくれているので動きやすいですね、すごく。小河原さん同様、僕も「ひとりが何かする」じゃなくて、「ムラタが全体的に良くなるために仕組みを変える」ことに興味があって、そこに還元していくことをやっていきたいと考えています。
あとは社内のつながりをつくりたいですね。大企業のいいところは、海外含めて各地にリソースがあること。そこで働く思いある人たちをつないでいくことで、もっといろんなイノベーションを起こせるんじゃないかって。そうしたらもっと世界にも誇れる日本になるんじゃないかと。それをムラタから始められたら。大企業の良さをようやく理解し始めたような気がします(笑)。
意外なところで生まれた顧客からの信頼
ーー業務は同じでも、行動や思いがアップデートされている感じがしますね。そもそもなぜベンチャーに行こうと思ったのでしょう。
大塚:僕は普段、島根県出雲市の工場で仕事をしているのですが、先ほどお伝えしたように、目指したいのが「地域共生型の新しいビジネスモデルを作り、実装することで地域が活性化すること」です。そう考えると、ずっとこの場所だけにいても達成できるイメージができなくて。何かきっかけがないかと思って、手を挙げました。
移籍先をBIOTAにしたのは、ビジョンに共感できたのが大きかった。「社会実装して良くしよう」ということを社長が話してくれて。「この人と一緒に働きたい」と思いましたね。
ーこれまで村田製作所ひとすじだったと伺いました。不安はありませんでしたか?
大塚:意外になかったんですよね(笑)。やっぱり期限が決まっているし、不安よりもワクワク感の方がまさっていたので。(小河原さんに)どうでした?
小河原:ワクワクでしたよ。私は転職組ですけど、ムラタに転職した動機が、「大きい会社で厳しい環境に身を置いて、社会人としてまず自立しよう」みたいな理由だったんです。今はある程度仕事も任せられるようになってきて「今後ムラタで何やりたいんだろう」って悩んでしまっていました。
ー小河原さんはNPOに行かれていますよね。何か理由がありそうですか?
小河原:正直、普段の仕事の中で、“誰のためにやっているのか”がわからなくなることもあって。なので「社会課題や人のことを考え続けて仕事できる人」に対して、本当にすごいなって思っていたんです。そういう人たちに触れると、何か価値観が変わるかもしれないなって。
ー西川さんはどうですか? どんな理由で行くことに?
西川:理由は2つありました。1つ目は、既存事業のハブになるような部門にいるのですが、みなさん経験豊富でいろんな視点を持っている人が多い。特に他の方よりも多角的な視点を持つ上司の存在が気になり、その理由を聞いたところ、「社外研修に積極的に行く機会があった」ということがわかって。僕は入社してからずっとムラタだけなので、外から得るというのは大事なことだなって思いました。
また、個人的に、ただ上を目指すキャリアに疑問を感じていて。なので自分なりのキャリアを描くきっかけになるかもしれないと。
ーそれぞれの理由でベンチャーやNPOへ移籍したわけですが、どんな仕事をしていましたか。慣れない仕事の中で「壁」もあったと思います。
小河原:私が移籍したサービスグラントは、プロボノ(社会人が仕事のスキルや経験を活かして行う社会貢献活動)をコーディネートしているNPOです。私は主に、NPOや地域団体を支援するプロボノ参加者の伴走や、プラットフォーム作りに携わっていました。
これまでは調達という仕事をしていて、基本的にはひとりでやる仕事でした。でもここでは5人チームのメンバーのひとりとして参加したので、チームで動く感覚がわからなくて、まずそこで苦労しましたね。
たとえば「こういう資料を作って」とか「こういう提案して」ってお願いされたときに、その人が経験豊富な方だったので、その人が言っていることがぜんぶ正解という前提で考えてしまい、いわゆる「作業屋」みたいな動きをしちゃったんです。そういうマインドで仕事していたので、サービスグラント側とも意識のズレがあって、悶々としていました。
3・4ヶ月くらい経った頃ですかね。チームメンバーの方と飲みに行く機会があって、そこでハッとしたんです。「(自分は)1ヶ月目の頃とまったく同じ悩みを話しているな」って。自分が何にも変わっていないことに愕然としました。そこで気持ちが切り替わったというか。このままだと何も残せない。できることがむしゃらにやろうって気持ちが切り替わった感じです。
西川:がむしゃらにやろうっていうのはよく理解できます。自分はSpready(スプレディ)というベンチャーに行きましたが、大企業の新規事業支援をやっていて、僕は新規事業担当者の方がご利用いただくサービスのカスタマーサクセスを担当していました。カスタマーサクセスは受け身のサポートではなく、一緒に相手の成功を考えて動くというもの。そこが最初の壁でした。どうしようかと思った時に、ムラタの自分、留学している自分というのを取っ払って、とにかく顧客に向き合おうと決めて。そこから突破できたというか、変わったように思います。
ー 「向き合う」とは、どのような動きをしたのでしょうか。
西川:自分でとにかく動いてみようと。その結果、担当していた顧客が求めているパートナーとなり得る企業を、自分で動いて探して、紹介することができたことが転機になりました。そこから顧客と信頼が生まれたというか、相談されるような関係に発展しました。嬉しかったですね。
「こうやって信頼が生まれるんだな」というのが、僕のその後の行動力に反映されました。成功確率が何パーセントでもいいので、とにかく数を重ねればいつかそのヒットを打てるようになるという考えに変わっていきました。
大塚:西川さん、あの頃、めちゃめちゃ動いてましたよね。自分も営業がメインだったので、色々名刺交換が必要だったんですが、西川さんみたいな凄まじい動きはできないなって思って見ていました(笑)。
僕のいたBIOTAは創業間もなかったので、色々な業務をやったのですが、一番担ってほしいと言われたのは営業で。ただ、営業といってもルートもないし、本当にゼロからの顧客開拓なので、すごく苦労しました。僕自身も人脈もないし、土地勘もない。少ない知り合いに片っ端から話を聞いたり、ありとあらゆる場で名刺をとりあえずもらって、連絡するみたいなところからスタートして。ようやく何件か興味があるという人に出会えました。成約までは持っていけなかったんですが、ルートをつくることには貢献できたのかなと。
あとは、日本科学未来館でトークイベントを企画から運営までやったんですが、まったくの未経験で大変でしたね。
西川:大塚さんはこれまで色んな経験をしてきているから応用できるというもありますが、本当に耐久力というか我慢強さがすごいなって思います。絶対に僕は勝てない(笑)。無理難題に挑む体力と精神力が圧倒的ですね。
大塚:基本的に何とかなると思いながらやってるから(笑)。ちなみに、西川さんは「内省する力」がすごいなって思います。しかもそれを行動に反映できている。同時に自分ごと化もしていますよね。アウトプットもロジカルだし。
西川:その分、過程をすっ飛ばしちゃって、「結論だけ言わないでください」と言われたことはありますね(笑)。
小河原:西川さんでいえば「突破力」もすごいなって。壁だという認識はあってもそれを絶対に避けようとしない。
大塚:小河原さんは、即修正できるところがすごいなと思っていました。自分は大きな失敗をしないとなかなか学習できないんですが、小さい失敗をすぐ修正して反映できるじゃないですか。
小河原:ありがとうございます。小さなPDCAを回すことはやっていましたね。やっぱりフィードバックをもらうのは、こわいなとは思うんです。間違っているって言われることもあるので。でもそれが大事なんじゃないかと思って、ひたすらやり続けていました。
かすりもしないと思っていた領域で、これまでの経験が役に立った
ーそれぞれの強みをわかっている。これから互いに活かし合えそうですね。お話伺っていると、村田製作所での経験が役に立ったこともありそうですが。
大塚:そうですね。文章を読み解いて資料にするとか、トークイベントをやるとかも、中身は当然違うんですけど、使えるところは結構あったなって思いましたね。モノづくりにおける標準類や変更管理、レポート作成やプロジェクト・チームビルディングなどそういう経験が役に立った。行くまでは製造技術は職を失ったら一番使いものにならないなと思って暮らしてきたので、それが180度変わったかもしれません。
西川:ベンチャーって限られた資源の中でやるので、取りこぼしてしまうこともある。そのとりこぼしに気づいて、全部拾っていくという行動をしていたら、それがすごく喜ばれました。これまでは、周りのことが見えすぎて「見たくなくても見えてしまって、行動してしまうのが僕の悩み」だって上司に言っていたくらいなので(笑)、その特性がプラスに働いて良かったなと思いました。
小河原:最初は全然使えないなって思っていたんですが、がむしゃらにやるって決めてから、できることをやろうと動く中で、いろんなことが使えたかなって思いますね。
あと、経験やスキルというか、会社の見え方が変わったというところでは、留職中に「体験プロボノ」みたいな感じで、ムラタのメンバーに参加してもらったことがあったんですね。その際、関わっていたサービスグラントのメンバーから、「みなさん、小河原さんと同じ会社の人っていう感じがしました」って言われました(笑)。要は、考え方が揃っているということですね。
それって染まってるって見え方もあるしれませんが、ベースとなる考え方が揃っていると、みんなで同じ方向に進んでいきやすくなるし、議論もスムーズになると思うんですよね。越境するときに、留学先の考え方を理解することが肝心、という話にも通じる考え方だと思います。
ー息があっているみなさんが一致団結して何か起こしたら、とてつもないパワーになりそうです。
西川:それぞれやりたいことがありますけど、ひとりではできないことなので、(ベンチャー留学の)OBメンバーも含めて、話し合ってみんなでやっていけたらいいなと思っています。とにかくOBのみなさんが本当に良くしてくれていますね。僕らは東京のベンチャーにいたわけですが、出張ついでに立ち寄ってくれたり、結構気にかけてくれて。
大塚:最初営業のノウハウも全然わからなかったんですが、電話して教えてもらったり、事前に勉強会とかを開いてくれていたので、ありがたかったです。なので、自分たちも次につないでいきたいですね。「100人の次世代リーダー輩出する」という目標があるようなので、自分たちもそこに貢献できたらいいなと。
西川:100人という目標に対して今10人なんです。僕らの動きを見て「行きたい」って人が増えたらいいなって思いますね。仲間をどんどん増やしたい。
僕が留学したSpreadyのホームページに「オフィスの外はこんなに広がってる」っていう言葉がありました。僕が見た世界は、本当にその通りでした。僕ら自身から、ワクワクを感じ取って、ちょっとでも一歩でも踏み出してほしいなって。いつでもオープンなので、ぜひ話を聞きに来て欲しいですね。
みんなで変わっていく。みんなで進んでいく。それは息があっている組織だからこそできること。越境したことで「会社は思っていたより自由だった」と気づいた3人。OBメンバーと力を合わせ、それぞれの強みを活かしながら、個人として、組織全体としてイノベーションを起こしていく未来の姿がいま、見えたような気がします。
Fin