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「会社員の僕でも、世界を書き変えられるかもしれない。」あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 佐藤京介さん

あいおいニッセイ同和損害保険株式会社で、代理店営業に携わっていた佐藤京介(さとう・きょうすけ)さん。佐藤さんが、ベンチャー企業で一定期間働く「レンタル移籍」に応募したのは、「世の中を変える仕組みをつくりたい」という強い思いがあったから。

これまで積み上げてきた仕事の延長線上を進むのではなく、学生時代から心にあった「世の中を変える」という思いを形にしたい。そのために、0から1を生み出せるスキルを身に着けたい。そんな気持ちから、佐藤さんが選んだ移籍先は特定非営利活動法人deleteCでした。

「deleteC」は、誰もが参加できて、みんなでがんの治療研究を応援していける仕組みをつくるプロジェクトです。協賛企業の商品を購入したり、SNSにタグをつけて投稿するなど、身近でできるアクションを寄付につなげ、「がんを治せる病気にする」ことを目標に活動しています。

移籍当初は、全く違う環境での仕事、周囲のスキルの高さに圧倒され、なかなか自信が持てなかったという佐藤さん。しかし8ヶ月の移籍の間に自信を取り戻し、「自分のアクションから、世界を変えていくことはできるんだ」と確信を持てるようになったといいます。佐藤さんは移籍期間にどのようなことを学び、経験値に変えていったのでしょうか。

「世の中の役に立つ仕事を」東日本大震災で感じた使命感

ーまず、あいおいニッセイ同和損保に入社されたきっかけを教えて下さい。

 大学1年生のときに東日本大震災があり、テレビで流れる映像に衝撃を受けました。当時は関西に住んでいたのですが、直感的に「自分の目で見て、知らなきゃ」って思ったんですね。それで、バックパックを背負って一人で東北に向かったんです。実際に地震の爪痕を見て、とても心が痛みました。現地の人の話をよくよく聞くと、大半の人が地震保険に入っていないために、財産を失った人たちが仮設住宅からどこにも動けないという現状を知りました。そのときに、地震保険、損害保険って大切なんだということに気づいて。保険の仕事に興味を持ったことから、入社につながりました。

ーこれまで、どんな仕事をされていましたか。

 レンタル移籍に行くまでは、リテールの代理店営業ということで、京都、群馬でそれぞれ3年勤務しました。中古車販売店や整備工場、プロの保険事務所などが主な担当で、自動車保険、火災保険の販売方法をレクチャーしたり、法人経営について相談にのるなど、代理店のサポートが主な仕事でした。

「0から1を生み出せるようになりたい」

ーどういったきっかけで、レンタル移籍に挑戦しようと思ったのでしょうか。

 入社5年目のときに、当社のオリジナルドライブレコーダーを活用することで、お客様の安全運転をサポートしたり、万が一の事故のときも即座に対応できると言った画期的な特約ができました。事故直後にドライブレコーダーに記録した映像や位置情報を瞬時に把握でき、すぐにあいおいニッセイ同和損保の事故担当者からお客様のドライブレコーダーへ電話をかけることができる。

 この仕組みができたときに、「これは保険業界が変わるな」と思ったんです。この仕組みを知れば知るほど感動して、「この保険を売るのも面白いけど、こういう仕組みを生み出す側になったら、もっと面白いだろうな」と思えてきて。そのためにはどうしたらいいだろうと考えはじめました。

 それと、当時勤めていた群馬は車社会で、高齢者の運転による事故が問題になっていました。こういった仕組みを普及させることで、免許返納を考える年齢の人の運転をサポートできるし、交通事故を未然に防ぐことができる。損害保険が地域社会の課題解決に携われるんじゃないかなと。

ー震災を体験してから、変わらず社会課題を解決したいという熱い思いが根底にあったのですね。

 そうですね。それと、30代に入るまでに色々と経験しておきたいという思いもあって。僕の年齢だとだいたい3年ごとに異動があったので、「フェーズを変えたいなら今アクションを起こさなければ!」と7年目になる前にレンタル移籍に応募しました。

ーなぜ、deleteCを移籍先に選んだのでしょうか。

 0から1を生み出すことを身につけられる組織だと思ったからです。deleteCは誰もが参加できる、みんなでがんの治療研究を応援できる仕組みをつくる団体で、まさに形のない、新しい仕組みを作り上げているところだと思いました。自分の一家はがん家系だということもあって、がんは身近な問題だったし、その問題をどう解決していくかということに対して様々なやり方でアプローチしている自由な発想がすごいと思いました。

 またdeleteCでの立ち位置は、対外的な窓口となりながらdeleteCの活動すべてに関わるポジションだったので、マルチタスクをこなせる力、判断力、マネジメント能力など幅広いスキルを身につけることができると思ったんです。今後、0から仕組みを作り出せるようになることを目標に据えたときに、ここで経験を積むことは今後、必ず役立つだろうなと感じたというのが大きな理由ですね。

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自信を失い、心が折れそうになった3ヶ月目

ー移籍後は、どういった業務に取り組まれていたのですか。

 最初の2ヶ月は、deleteCを理解するために、毎日すべてのミーティングに参加しました。deleteCは、イベント、広報、医療、全体の定例MTGとたくさんのミーティングがあるんですよ。多くが“プロボノ”メンバー(プロボノとは、仕事で培った知識や専門的なスキル、経験等をボランティアとして提供し、社会に貢献すること。「公共善のために」を意味する「pro bono publico」の略)で成り立っていることもあり、さまざまなバックグラウンドの人が集まっています。どんな人が何をしていて、現在どういう取り組みが進行しているのかを知ることから始まりました。

そして、渉外担当として企業からの問い合せ対応や、渉外活動を行うために企業を訪問していました。その時は同じレンタル移籍者で、サントリーから来ていた山畑さんがいらっしゃったので、その方に教えていただきながら、業務を行っていましたね。

ーほとんどがプロボノのメンバーとは、めずらしい組織ですね。様々な土壌のメンバーと関わる中でどのように感じましたか。

 たとえば、ミーティングの時間が長いことにびっくりしました(笑)。長いときは5〜6時間かかるのですが、これには理由があって。

 イベントについて考えたりするときに、「そもそもなぜこれをするんだろう?」と根っこの部分から考えていくんですよ。この時期でいいのか、なぜ必要なのか、自分たちの存在意義は何だろうかと。本来すごく大事なことですが、そこまで深く掘り下げることは、これまであまりしてこなかったんですね。入社以来、巨大な組織の一員として営業現場で働いてきて「そもそもなぜやるのか?」を考える必要がなかったのだと思います。おかげで、deleteCの根幹を知ることができたし、「なぜ?」を突き詰めることから始まっていくんだと理解することができました。

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ー0から生み出す瞬間や、みんなで根本から議論する、ということに立ち会われていたんですね。

 そうです。ただ移籍して2ヶ月経っても、「deleteCについてきちんと理解ができているのか?」と、なかなか自信が持てなかったんです。渉外活動の中でも、自分の言葉で話せていないと感じることもありましたし、多くのプロフェッショナルがいるdeleteCの中で、自分が役に立っているのかわからなくて……。

 3ヶ月目の9月に入って、SNS投稿が寄付になる「deleteC大作戦」というイベントが始まったんですが、中心になって動かしていくポジョンにいなければならないのに、そのエネルギーが沸いてこなかったんです。というのも、どう動けばいいのか、完全に自信を失ってしまっている状態で。

「世界が書き変わる瞬間」に立ちあえるよろこび

ーそこからどのように、気持ちを立て直していったのですか?

 SNS投稿の集計作業を担当していたんですが、そのときに多くの人の思いが溢れた投稿を目にしたんです。「deleteC」には、がん=cancerを消すという意味があるのですが、このイベントは協賛企業の企業、商品名から「C」を消した画像や動画を投稿していただくという仕組みでした。

 SNSには何千件という数が投稿されたんですが、そこには自分の思いを書いて投稿してくれる方もいて。中には家族や友人をがんで亡くした方が「故人が好きだった商品を通じて、支援に関われてうれしい」と書いてくださっていて。「こんな素晴らしい企画に賛同しているなんて素敵だ」と協賛企業に感謝するようなコメントもありました。たくさんの絵文字を使って「治れ〜!」という投稿は、学生さんだったのかな。とにかく、「あぁ、いろんな人が応援してくれているんだ」「こういう思いがみんなの中に眠っていたんだ」って、SNS投稿を通じて知ることができました。

20201015_佐藤京介

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 がんをなくすために何かしたい。けれど、どうすればいいのかわからない。そんな人のために、deleteCがあるんだ。みんなの力が集まると、世界が書き変わっていくんだと。みなさんの何千件もの投稿に目を通したことで、deleteCの存在意義を本当に理解できた瞬間でした。

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ーここが一つの転換期だったんですね。

 この時は、現場で動ける専属メンバーが自分だけだったので、とにかく無我夢中でやるしかない状況でもありました(笑)。ですが、確かに一つの山場ではあったものの、今振り返ると、この頃はまだ「言われたことをやっていた」だけだなと思いますね。


自分にも希望を与えてくれた「HOPE」

ーその気付きから、どのようなアクションを起こしたのですか。

 1月末に向けて、がんの治療研究の寄付を募るためのイベントを行うことになり、歌手のAIさんに協力していただくことが決まりました。偶然にも、私たちが打ち出したイベント名も、AIさんが提供してくださった曲名も「HOPE」。信じてもらえないかもしれませんけど、本当に偶然で。「いい企画を出さないといけない!」と盛りあがったんですが、このコラボレーションをどのように打ち出し、どうやって寄付を集めようかという導線がなかなか決まらずにいました。

 そこで世の中でサステナブルに取り組む企業やイベントを調べて、「値段のないレストラン」というおもしろい企画を見つけたんです。そのレストランは、「いくら払うかはあなたが決めてください」というシステムでした。これを取り入れた企画を作れば、誰もが無理なく参加できるんじゃないかと思ったんですね。

 それにdeleteCには、クリエイティブにとんでもなく強いメンバーが揃っているので、AIさんとともに、人の心を動かすミュージックビデオを作ることができる。その映像を見た人が自分の想いの分だけ寄付をしていただければと考え、メンバーに提案しました。結果的に案を採用していただき、「いいねの募金」というプロジェクトとして始動することになりました。


ー自ら動き出した、大きな一歩だったんですね。企画から実施まで、どうやって取り組まれたのでしょうか。

 イベント実施まで残りわずかだったので、とにかく時間との勝負でした。告知、集客、賛同企業に声掛けなどを一気にやらないといけなかったので、スケジュールとにらめっこしながら、関係者全部を見渡して、メンバーに声がけをして、チームがスタックしそうになったら障害を解消して。ここから本当の意味で、プロジェクトの推進を担えるようになったんだと思います。

ー具体的には、どのようなイベントだったのですか。

 YouTubeLiveで1時間半の番組を生放送したんですが、がん治療研究に対する寄付金を贈呈する表彰式、アスリートのチャリティーオークション、そしてAIさんのオンラインライブと盛りだくさんの内容でした。そこまでの準備は、壮絶な仕事量でしたね(笑)。周りからもいまだに「あのときすごかったよね」って、言われます。

 僕が企画に携わらせていただいた「いいねの募金」もここでローンチしました。MVのクレジットに僕の名前が出たときには、感動してしまって自然と涙がでましたね。移籍者としてではなく、deleteCの本当のメンバーとして、「みんなの力で、がんを治せる病気にする仕組み」を新しくつくることができたと感じられました。

「世界を書き変えること」は可能である

ー今、レンタル移籍を終えて、どのような変化を感じていますか。

 「世界は書き変えていくことができる」ということを強く思えるようになったことですね。「より良い世界をつくりたい」と思う人が密度濃く集まっているdeleteCで、自分の構想を形にし、新しい応援のカタチとして世の中へ打ちだすという経験ができたことで、「世界を変えたい」という思いが、「変えられる」という確信に変わったと思います。

ー世界を変えたい、社会課題を解決したいという思いは、東日本の震災を目の当たりにされたときから変わっていらっしゃらないんですね。

 そうですね。大企業に属している一人として、トライすべきだと思いました。ベンチャー企業に移籍したことで大企業には大きく世界を変えられる可能性があると気付いたので、挑戦していかないといけないと、より強く思うようになりましたね。

ー移籍期間の中で、刺激を受けた言葉や行動はありましたか。

 代表の小国さんの「自分の中の違和感を大切に」という言葉が心に残っています。違和感は宝だからと。

 同じ代表の中島ナオさんが「私は納得できないことがいっぱいあるよ」とよく口にしていました。がん患者として、そして一人の人間として、感じている違和感をメンバーに毎日伝えていました。

 deleteCは「あかるく、かるく、やわらかく」という言葉を大切にしています。これは中島ナオさんが言った言葉です。がんは「暗くて、重くて、硬い」表現で語られてしまう話題だと、がんに罹患していたナオさんは感じていました。でも、これでは人々が関わりたいと思うことができない。だからdeleteCは、あかるく、かるく、やわらかい表現で、誰もが思わず応援したくなるものをつくるんです。自分や他の誰かがもやもやと抱えている「何かがおかしい」という違和感は、0から1を生み出す、世界を良くする大切なきっかけなんだということに気づかされました。

 ちなみに、ナオさんの違和感はいっぱいありすぎて、前に進まないことも(笑)。ただ、たとえどんなにめんどうでも、良いことでも悪いことでも、違和感は解くべき問いだったんです。全員で全員の違和感を一つずつクリアにしていくと、必ず以前より良い内容になっていくんですよ。みんなが持っている“めんどくさい違和感”こそが、deleteCの活動の源泉でした。やっぱり違和感は宝です。あいおいニッセイ同和損保に戻ってからも、ずっとそう思っています。

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 そしてもう一つ、「打席に立てる幸せ」を感じるようになりました。deleteCでは、自分がプロジェクトの中心となって企画の立ち上げや推進のど真ん中に立っていました。特に大切な時期に差し掛かった時には、小国さんが「これは君しかできないことで、ここが勝負所だよ!」と声をかけてくれました。逆転がかかった打席に自分が立って、フルスイングしにいくような、スリリングで貴重な経験は自分を成長させてくれたと思うんです。

貴重な打席にたくさん立てることは特別な権利で、幸せなことなんだと。あいおいニッセイ同和損保に戻って初めて気付きました。あれを経験するために移籍してきたんだなと。大企業でそんな経験が巡ってくる大切なポジションに、簡単に立つことはできません。だからこそ、打席に立って良い経験をするチャンスは自分でつくっていかなきゃなと思うんです。

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写真左:佐藤さん 写真右:代表理事 小国さん

新たな打席に立ち、「全方良し」の仕組みづくりを

ーあいおいニッセイ同和損保に戻られてからは、どのようなお仕事につかれているのでしょうか。

 今は、手数料体系の運営や企画など、損害保険代理店の販売制度に関わる部署で働いています。そして、非対面でどのように営業活動・保険募集をするべきなのかを考え、推進する業務も同時に行っています。コロナ渦でなかなか状況が見えない中、「僕たちがするべきことは何だろうか?」と自問しながら、答えがないことを進めていく。これも新たな打席に立たせてもらっているんだと気合いを入れて、取り組んでいます。

 それと若手が集まって中期経営計画をつくるチームがあるのですが、そのリーダーにも就かせてもらっています。挙手制だったので、「またバッターボックスが来た!」と思って手をあげました(笑)。

ー「いける打席は全部行く!」という勢いですね。

 そう言われると、そんな感じですね。(笑)あいおいニッセイ同和損保という大きなフィールドの中で、20代のうちにたくさんの経験をさせていただき、感謝しています。

 チームでは「そもそも、自社のミッション、ビジョン、バリューってどうあるべきだろうか?」ということから考え始めています。これもレンタル移籍を通じて得た大きな学びです。

ーまさに学んだことを生かされているんですね!最後に、今後への思いを聞かせていただけますか。

 大変でしたけど、挑戦して本当によかったと言い切れます。deleteCでしか経験できないことをして、他にない考え方や価値観を学びました。自分のアイデアを実現して人々に広めたという成功体験も得ることができました。この経験を活かして、関わる人たちみんなが笑顔になれる、今までにない仕組みを生み出せるように、これからもチャレンジしていきたいと思います。

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レンタル移籍終了後も得た経験を即座に活かし、新たなポジションで活躍している佐藤さん。学生時代に抱いた「社会課題を解決したい」という熱い思いを叶えるため、挑戦を続けています。


Fin


追悼
佐藤さんの移籍先・特定非営利活動法人deleteCの代表を務められていた中島ナオさんが、2021年4月20日、ご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。ローンディールはこれからも「deleteC」のプロジェクトを応援してまいります。


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協力:あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 / 特定非営利活動法人deleteC
インタビュー:三上由香利
提供:株式会社ローンディール
https://loandeal.jp/


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