一人ひとりのWILLを生かして、組織を変える
チャレンジできる場が不足している
木口さんは研究職としてセイコーエプソンに入社。当時はまだ「自由闊達な中小企業だった」という同社で、様々な経験を積んできたそう。
「最初はコンタクトレンズ事業の開発(現在は譲渡)を経験して、その後は20年位、インクジェット技術を用いた新規事業に携わってきました。当時はまだ立ち上げたばかりのプロジェクトだったので、小さなユニットではありましたが、責任者として、開発から製造販売、提携先の工場立ち上げに至るまで、本当に色々なことをしてきましたね。結果、事業部として大きくなりましたので後任者に受け渡して。今は新たな事業開発や、それを担う人材の育成に力を入れています」
木口さんは、自らの役割を「変革の種をつくること」だという。
「そんな感じで新規事業ばかりに携わってきたので、セイコーエプソンで“ど真ん中”を歩いてきた人間じゃないんですよ。だからこそ少し引いてみることができるのかもしれない。カッコつけていうなら、会社に新しい風を吹き込むというか(笑)、外部視点で会社を見る。そうやって変革の種をつくることが自分の役割かなと思っています」
「変革を起こす」。それを強く意識しているからこそ、危機感がある。
「自由闊達な中小企業だった」当時からセイコーエプソンは急成長し、プリンターやプロジェクターだけではく、スカラロボット(水平方向に動作する産業用ロボット)においてもリーディングカンパニーとして世界を牽引し続けている。一方で、大規模組織ゆえ、社員一人ひとりが新しいことにチャレンジできる場が減り、成長機会が少なくなってきていることを危惧している様子。
「当時私が入った30年くらい前は、大きな権限を与えてもらえて、入社早々に大手電機メーカーの偉い人と商談してくるというような機会も多くありました。OJTの繰り返しで、いきなり戦地に放り投げられるみたいな(笑)。大変でしたけど、その分、本当にいい経験をさせてもらったと思っていますね。でも組織が大きくなると、業務が細分化してしまって。社員の中には、入社してからひとつの事業所から出たことがない、出張にすら行ったことがないとか出てくるわけです。
あるいは、この技術のこの部分だけずっとやっていますとか。要は会社の全体像どころか関わっている商品すら語れないような人も増えていて。つまり、自分たちの時みたいな経験や成長の機会が与えられていないということ。更にいうと、今後はそういう人たちが若手を育てることになるので、どんどん内向きになってしまってしまうわけです。
なので、チャレンジする機会、成長の機会をつくってあげる必要性を感じています。最近は、若手が自社で新しい経験ができないからと、エネルギーが外へ向かっていってしまっている感覚もあって。もしかしたら『社内では新しいことができない』『自己実現できない』と諦めてしまっているのではないかと」
自社ではできない経験を外で
そうした状況を打破するため、木口さんは自ら立ち上がり、仲間を巻き込み、様々なことを試みている。
「実はこれまで、若手を巻き込んで社内改革をやってみようかと、見よう見まねで色々な活動をしてきているんですよ。たとえば、外部のコンサルタントの方をお呼びしてグループワークでアジャイル開発を体験したり、自社で出資しているベンチャー企業の経営者と話をする場を設けたり。社内のオープンスペースで、自分がインタビュアーとなって社長をはじめ、経営層とか普段現場の人がなかなか話さないような人を呼んでリアルとウェブ配信を行ったりしました。
まだありますよ(笑)。女性エンジニアの活躍を支援する取り組みの一環として、社長との対話会を開きました。地元のコワーキングスペースの一角を会社で借りて、地域の人やスタートアップの人、都会から移住してきた人たちと交流する機会などもつくっています」
それら木口さんが仕掛けた取り組みは、社員にとっていい刺激となっている様子。一方でそれ自体が「チャレンジする機会」を与えられるものではない。そこで、レンタル移籍を活用して、社員をベンチャーに送り出し、自社ではできない経験をしてもらおうと考えた。
「最前線のベンチャーで働く人たちの思考や行動力、スピーディに進めていくマネジメント力、そういったことを見聞きするだけではなく、実務として経験してくるというのがいいなと。事業の立ち上げに関わることでオーナーシップが生まれるんじゃないかという期待もありました。それに、本人のWILL(やりたいこと)を掘り起こし、それをベースに行き先を決めたり、自分でベンチャー側と面接のアポイントを取るとか、面談しても合格しないと行くことができないとか、そういう主体性が問われるのもいい機会だと思いましたね」
旅を経て。一気通貫でものごとを捉える力
そうして2021年。木口さんの部門から2名がベンチャーに行き、期間を終えて自社に戻ってきた。そのうちのおひとり、松下さんはマネジメント職でもある。どのようなチャレンジの機会を得たのだろうか。
「彼はベンチャーに行って、仕様も何も決まっていない状態でアプリの開発を一任されていました。しかも開発メンバーも自分でマネジメントして納期までに完成させなければいけないという難題で。自社だと仕様書があった上で進めるのが当たり前なので、初めての経験だったことでしょう。いきなりそういう環境に放り込まれて、相当面食らったと思います。
ただ、正直、私から見たら、本来はそういうものなんじゃないのかとも思うわけです(笑)。仕事というのは何も無い中から生み出していくもので、仕様書がなかったら自分で書くしかないんですよね。ロールプレイングゲームと同じですよ。最初は何も携えていなくて、動いていく中で経験値を積んで武器を得てだんだん強くなっていく。やがて仲間も増えてきて、大きな戦いができるようになっていく。
本来はこういう旅をする機会があればいいんですが、大規模組織だと全部揃っちゃってますからね。いい経験をしたと思います」
松下さんは戻ってきて半年以上が経つ。
木口さんいわく「思考がガラッと変わった」とのこと。
「戻ってきた後に経験を生かせる場を作るというのは意識していたのですが、ちょうどタイミングよく、彼がこれまで作っていた製品が商品化することになったんですよ。しかもちょうど販売会社から、『販売施策を考える上で、技術がわかる人の支援が欲しい』という要望が入り、彼に入ってもらうことになりました。今は開発の枠を超えて、営業支援から販促活動まで積極的に関わってくれています。明らかに思考が変わったんじゃないかなと。
これは彼に限らず開発者ならではだと思いますが、『自分は開発の人間だから商品化したあとは販売会社任せ』というケースも多い。全体像が見えにくい仕組みなので、自分の仕事に境界線を引いてしまうのも理解はできるんですが、下手すれば『いいものさえ作ればあとは誰かがなんとかしてくれる』『いい製品ならきっと誰かが買ってくれる』そんなふうに思ってしまいかねない。松下さんは、ベンチャーで事業全体を見ながら開発業務をしたことで、一気通貫で考えて動く必要性に気づいたようです」
メンバーのWILLを生かして『燃える集団』に
そんな松下さんはマネジメントという立場上、周囲のメンバーに与えている影響も大きい。
「彼の影響はですね、計り知れないくらいあります(笑)。彼の動きを見て『自分たちも動かなきゃ』と、何もしないことで取り残された感を感じている人もいるんじゃないかなと思いますね。たとえば先日とある展示会の開催情報をキャッチしたので発信したら、翌日だったにもかかわらず、松下さんが自ら手を挙げて『僕、行ってきます』と。販売まで考えるようになったことで、競合が気になったというのもあるのでしょう。
そうやって商品になった後も意識することで、他社のコンペ状況も無関心ではいられなくなるし、新聞やニュースも気になるわけです。そうすると市場における戦略を考え始めるようになって、それが開発にも反映される。そうした循環が生まれるといいなと思います。松下さんは既にオーナーシップを持っていろいろ行動してくれていますね」
松下さん自身が背中を見せることが、周囲の刺激になっている様子。それから、まだ戻ってきたばかりの川井さんに関しても、想いを語ってくれた。
「開発者って少しのんびりしているところがあって。先ほどお話ししたように、細分化された中では全体像や周りが見えにくい。そんな中で、ベンチャーに行った松下さん、川井さんが外の風を引っ張り込んで、背中を見せることで周りも成長していく。いい意味で焦りや競争意識っていうのが出てくるといいなと思いますね。
川井さんはベンチャーマインドを全身で体感してきているので、これからじわじわと社内に還元してくれると考えています。彼は着実に物事を進めていく力がありますから、ベンチャーで得たやり方をうまく取り入れながら、プロジェクトを下支えする重要なポジションで活躍してくれたらと期待しています。新規事業は勢いだけで進めてしまうこともある。だからこそチームビルディングしてくれるポジションが非常に重要になってきます。
ただ、最後にはWILLですよ。まずは2人が『どうしたいのか』という意志を大事にして、舞台を用意してあげたいですね」
最後に。木口さんが思い描く組織について伺った。
今回の2人のベンチャー経験がきっかけで、セイコーエプソンがグイッと回り始めるような予感がしています。そのためには、先ほども言いましたが、働くメンバーのWILLを大事にすること。『ニーズを懸命に拾う』とかよりも、『自分がどんな社会にしたいのか』。それを一人ひとりがしっかり持って『自分の技術で世の中を変える!』くらい熱い想いを持つ、そんな『燃える集団』にしていけたら。想いがあれば、HOWの部分は自然と伴ってくると思うんですよね。もっとみんなが自分のWILLを大事にして、自分で考えて動ける、そういう個が自律した組織をつくっていきたいですね」
Fin
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