社外経験は、“セルフドリブン”な社員を生み出すか?〜 自走できる人材へと成長した大企業3名の経験談 〜
「周りを巻き込んで事業を推進できる人材を育てたい」「変化する環境の中でも、主体的にキャリアを選択できる人材を増やしたい」というように、昨今多くの大企業がキャリア自律やリーダー育成に取り組んでいます。
このように、自発性を備え、事業やキャリアを推進できる自走型の人材を「セルフドリブンな人材」と呼んでいますが、その育成機会として「レンタル移籍」を選択されることもあります。
そこでレンタル移籍の経験者3名をゲストに招いたオンラインセミナーを開催。レンタル移籍中、いかにしてセルフドリブンを身につけたのか、自社に戻った後、どのように活かしているのかついて話を伺いました。その一部を要約してお届けします。
ー3人が社外経験で得たものとは?
楠原:本日は3名のレンタル移籍経験者をお招きしました。まずは自己紹介をお願いします。
笠井:私は第一生命の千葉総合支社に勤務していました。入社以来12年間、窓口担当や営業員の教育支援、シニア層への相続コンサルティングなど様々な仕事を経験し、とても充実していました。一方で「ちゃんと成長できているのかな」「このままでいいのかな」と悩むこともありました。そんな私の背中を押してくれたのが、ローンディールのホームページに載っていた「企業に入って10年以上、仕事はこなせるようになったし会社も嫌いじゃない、だがこのままでいいんだろうかと思っていた」という言葉でした。
これはまさに私のことではないかと思い、レンタル移籍の社内公募に手を挙げました。私自身が変わりたいと思ったことに加え、第一生命ではレンタル移籍の取り組みが初めてだったということもあり、私の挑戦が周りにいい影響を与えたらいいなと思えたことも、一歩踏みだすきっかけになりました。
私が移籍先に選んだのは株式会社チカクです。スマートフォンアプリで撮影した動画や写真を実家のテレビに直接送信し、インターネット環境やスマートフォンがない高齢者世代でもテレビで視聴できる「まごチャンネル」という事業がメインで、半年間の移籍期間で広報や事業開発を経験しました。
広報業務では、実証実験を地元メディア3社から取り上げてもらうことができて、「とにかく動けばなんとかなる」という学びがありました。事業開発は、最初はどうしたらいいか全く分からなかったのですが、仮説検証を繰り返すことや、いろんな人のところに足を運ぶことで、自分なりのやり方が身につきました。
ベンチャーで働いてみて感じたのは、自分の強みと興味を知って、心が動く方に一歩踏み出してみることの大切さ。「できない理由を探すよりできることをやろう」と頭の中で切り替えた瞬間に、一歩踏み出せた気がします。
尾関:私は2004年にトヨタ車体に入社し、工場内で15年ほど総務、人事、車両の生産管理等に従事していました。本社へ異動後、単独で他社へ研修に行ったのですが、その時に得た知見を組織に還元しようとしたところ、空回ってうまくいかなかった、という苦い経験があります。その時、自分には言語化能力と折衝能力が足りないし、利己主義なところがあることに気づかされ、それを改善したいと思いました。
移籍先は、工業用ゴム・樹脂製品の製造販売などを行う創業80年超の中小企業で、視覚障害者用歩行誘導ソフトマットなどを作っている錦城護謨株式会社ですが、選んだ理由は3つあります。
1つめはさまざまな価値観、違う立ち位置にいる人々をどう束ねていくか、という自分に足りないスキルを得られると感じたから。2つめは、売上をあげながら社会問題解決を同時実現するビジネスモデルに共感したこと、3つめは既存事業から新規事業を立ち上げるという、今後の弊社と同じフェーズにいると感じたからことです。
ざっくり振り返ると、前半は何をやってもうまくいかなかったものの、後半は実績を伴って新たな仕事を経験できたという、後半に挽回する形の1年でした。最初は初めての営業の仕事に戸惑いカルチャーショックの連続で、社内で衝突してしまったこともありましたね。
でも、営業トークを見直して変えたことで受注が取れるようになり、それが評価されてマネージメント業務を任されるようになりました。マネージメント業務も、当初は主力メンバーが離職してしまうかもしれないという前途多難なスタートだったんですが、なんとか状況を変えようと手を変え品を変え取り組んだ結果、2人とも残ってくれることになりました。こうして積み上げた実績が評価され、最終的には会社の損益分岐点の見直しや組織再編、事業計画の見直しなども任せられるようになりました。
梶原:私は2017年に厚生労働省に入省し、法改正や新卒採用、コロナ治療薬承認の法的手続き、介護関係などを担当しました。入省して6年。よくいえば仕事に慣れてきたけど、自分自身や組織としての手詰まり感がある。そもそも政策としてあるべき社会保障、労働法制とは何なのか。そんなことを考えていた時期に、新進気鋭のベンチャー企業にレンタル移籍することで、全速力の成長を感じたい。そしてその過程で支障となっている社会保障や労働法制についても学びたいと思い、決断しました。
移籍先に選んだのは、現代アートのプラットフォームを運営しているベンチャー企業「TRiCERA」です。半年間、社長直下のボジションでコーポレート部門の立ち上げや新規事業の開発などを、ゼロからやらせていただきました。社長は口を酸っぱくして「Done is better than perfect. とにかくやれ、完璧を求めるな」と言っていたのですが、そこは役所との大きな違いだと感じ、衝撃を受けましたね。「何か物事を決めるにあたって、誰かを待ったり、もやもやしたことをそのままにしたり、そういった足踏みはよくない」と言われたことも印象に残っています。
一方で、「崖を駆け下りながら飛行機を作っている」といわれるベンチャー企業で、役所出身の自分がどう動いたらいいのか、という葛藤もありました。トップランナーの思考・スピード感についていけるかどうかが重要で、ついていけない人をゆっくり待つようなことはしない、というベンチャー企業ならではの感覚は、大企業の心地よさに慣れていた自分にとって一番変化を求められる部分でしたね。
移籍先から戻った今、実感しているのは主体性の大切さです。大きな組織では、いわゆる「大企業病」に毒されてしまいがちですが、物事を前に進めていくためにそこでどう頑張れるのか。「崖を駆け下りながら飛行機を作っている」という危機感はベンチャーだけじゃなく、大企業や役所でも同じなので、そういう気持ちを持ち続けることが重要だと思っています。
ー移籍前の自分は◯◯だった?
楠原:まずはレンタル移籍について、なぜこのタイミングだったのか、それぞれ教えていただけますか。
笠井:私は2つあって、ひとつは子どもが小学校4年になっていろんなことが1人でできるようになったという家庭の部分。もうひとつは上司が「新しいことをやってみたほうがいいんじゃないの」と背中を押してくれたことです。
尾関:僕はレンタル移籍の公募を見たときに、「ノーリスクでトライできるぞ!」と思ったんです。他の人には「リスクが大きいよ」とは言われたんですが、僕の中ではノーリスク。大きい会社ならではの問題点をどうにか打ち破れないか、起爆剤になれないかと考えて、挑戦を決めました。
梶原:私は以前から、「厚労省の制度を外から見た時にどうなのか」という視点を持つために、なるべく早く外に出たいと思っていました。人事課にも「民間企業に行かせてほしい」と常々伝えていたので、すぐに応募しましたね。尾関さんと同様にノーリスクだと思いましたし、面白そうだからチャレンジしたい、という感じです。
楠原:みなさん、もともと持っていた挑戦の気持ちがあった上で、環境が整ったタイミングだったんですね。ちなみに、今、移籍前の自分を振り返ってみると、今とはどんな違いがありますか?
尾関:僕は「利己主義」でしたね。自分が良ければいいという考えになりがち。とにかく目標に早く到達したかったので、人にやってもらうと遅いから自分でやろう、という発想になることもあって。それはだいぶ変わりましたね。
梶原:私は「超絶作業マシーン」でした(笑)。目の前に仕事が膨大にあるので、それをいかに捌くか、いかに終わらせるかがすべてだったように思います。当時はそれなりにやりがいを感じていましたが、移籍を経た今では、本質的なやりがいとは何なのかと改めて考えるようになりました。
笠井:ノミのサーカスのたとえ話で、「ノミはふたのある箱に閉じ込めると、それ以上飛ばないし、ふたを外してもふたの高さまでしか飛べなくなる」という話がありますよね。私はまさにその状態で、自分で勝手に限界を作ってしまい、「すごく高く飛んでいるつもりが、実は全然飛べてない」という状態でした。レンタル移籍を経て、自分でふたを外せるようになったかなと思っています。
ーセルフドリブンを自社で発揮するには?
楠原:仕事への向い方がだいぶ変わったようですね。続いて今日のテーマでもある「セリフドリブン」についてお聞きしたいのですが、みなさんが移籍中に自分で組織や事業を動かしていると感じたことはありましたか?
梶原:私はコーポレート部門の立ち上げをやった時です。自分の上にはほぼ社長だけだったので、自主的にやれたという感覚がありました。自分で引っ張っていくとか、物事を組み立てて考えていくというスキルが身に付いたと思います。
一方で、それなりに仕事をやっているつもりだったのですが、TRICERAで優秀な人たちに囲まれたことで「自分は与えられた仕事しかやってないのでは?」と気づき、絶望したんです。これまで6年間仕事を頑張ってきたけれど、圧倒的に経験が足りなかったんじゃないかと。
なので、とにかく分からなくても発言してみるとか、自ら議事録を取るとか、小さいことからやってみることにしました。間違っても行動を起こし続けていった結果、主体性が徐々に身についたのかなと感じています。
尾関:僕はスケールの大きな仕事を任されるようになった時ですね。事業を自分ごととして考え、どうしたら既存事業化できるんだろうなということを考えるようになりました。自発的に物事を考えられるようになったきっかけだったかなと思います。
動き続けないと吸収できないので、フロントランナーとなって、周りを引きずるくらいに走り続けました。組織で動くと早く進むことはできないけれど、遠くに行くことはできる。そんな風に考え方が変わり、自発的に動けるようになったと思います。
笠井:私は移籍期間の後半に「スケーラブルなビジネスモデルを見つける」という事業開発のお題をもらった時です。最初は何から手をつけたらいいか、目標をどこに置いたらいいかも定かではなかったんですが、チームで話し合ったり、代表に相談したりしていく中で、「仮説を立てて調査していこう」と方向性が定まり、そこから「私がチームを引っ張る」と覚悟を決めたところ、自走できるようになりました。
楠原:「自分がやるしかない」という状況が主体性につながったようですね。そうした経験が、自社に戻った今でも活きていますか?
尾関:大きい会社には保守的な人が多いですが、その中にも「変わってもいいかな」という人は意外にいるもの。そうした人を見つけて一緒に行動し始めています。
笠井:ベンチャーで経験したスピード感のおかげで、キャッチアップする力がついたと思ってます。戻ってきた場所は広告宣伝課という今までとは違う部署なのですが、「すごいスピード感で仕事をしているね」と言っていただいています。自分の仮説をしっかり立てて発言していくということも、レンタル移籍中に身についたことですね。
梶原:やはり主体性と、視座の高さが身についたと改めて思います。ただ与えられたことをやればいいというのではなく、違うアプローチで自分なりの価値を見出していくこと。
たとえば「こうしてください」といわれたときに、「こういう観点なら、もっとこうしたほうがいいのでは」と自分から提案していくとか。そうした主体性と視座の高さが出てきたと思います。
楠原:最後に。今は戻ってきて間もないですが、今後もセルフドリブンであり続けるためには、どうしたらいいと思いますか?
梶原:年月が経てば薄れていくという考えもありますが、逆にずっと意識をし続けていることで定着するんじゃないかと。成功体験を積み重ねればできることも増えていくと思うので、自分のキャリアも含めて、より主体的に考えて続けていきたいですね。
笠井:正直、レンタル移籍前には第一生命でセリフドリブンをやるのは難しいのかなと先入観がありました。でも、移籍先から戻ってきて改めて見渡すと、セルフドリブンに動いている人がたくさんいることに気づかされて。まだまだできることがたくさんあるんだってわかりました。なので、決められたルールの中でどうやってはみだしていくのかを、考えて行動し続けていくこととが大事だと思っています。
尾関:僕は、自分が失敗ととらえなければ、それは失敗じゃないと思っているんです。難易度が高いことはみんな嫌がってやりたがらない。だからこそ、そうしことに手を出すことこそがチャンスだと思います。
たとえうまく掴めなかったとしても、次にこうしたらもっとうまいことできたかもしれない、こうやったらクリアできたかもしれないという知見が生まれるなら、それは失敗ではない。これからも組織の中で味方を集めて、「あの時は確かこうだったな」と移籍経験を思い出して、止まることない変化をしていきたいと考えています。
楠原:みなさん、レンタル移籍中にセルフドリブンになる瞬間があったこと、そして維持していくために楽しみながら努力していることを聞き、嬉しく思いました。今日はありがとうございました。
Fin
【ローンディール・イベント案内】
大企業人材が教育現場に飛び込むことに意義はあるのか
【ビジネス領域外での人材育成施策|体験談&意見交換会】
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