見出し画像

「ベンチャーで手に入れた本当の主体性」第一生命保険株式会社 笠井 ちさと さん

仕事もある程度うまくこなせるようになり、会社からの評価も得られている。第一生命保険株式会社(以下、第一生命)の笠井ちさとさんは順調なキャリアを歩む中で、「もっと人に寄り添ったサービスを生み出したい!大企業の看板を外した自分を知りたい!」、そんな欲求に突き動かされ、「レンタル移籍」にチャレンジしました。

「これまで積極的に仕事をこなし、自分を受け身だと思ったことはなかった」と話す笠井さんですが、スマートフォンアプリから実家のテレビにお孫さんの動画や写真を送信することができる「まごチャンネル」を開発するベンチャー企業・株式会社チカクへ移籍したことで、本当の意味での積極性・主体性を得たといいます。キャリア観が大きく変わったという笠井さんに、大企業の看板を外した中でどのようなチャレンジをしたのか、お話を伺いました。

入社12年の職場から離れて


ーー第一生命でどのようなお仕事をされてきたか聞かせてください。

2010年に入社して、出産・育児休暇を経て、その後、千葉の総合支社で窓口やお客さま先を訪問してのコンサルティングや、営業員の教育支援に関わる業務をしてきました。様々な業務を経験していますが、今回レンタル移籍でチカクに行くまでは、第一生命のことしか知りませんでした。

ーーなるほど。そもそも第一生命の志望動機はどんな理由でしたか。

実は、もともとは国家公務員を目指していたんです。生まれ育った環境によりマイナスの状況下に置かれている人たちを、少なくともゼロの状態に引き上げるような手助けがしたく、家庭裁判所調査官になりたくて、大学でも学んできました。

卒業後の進路に就職も視野に入れた時に、偶然目にした保険会社の映像が心に残りました。父が保険金を残してくれたから進路を諦めずにすみ、天国の父に感謝しているといったストーリーのものです。

「保険会社でも私がやりたいことが実現できる」と思い、就職活動の中で魅力を感じた、第一生命に新卒で入社しました。

――素敵なエピソードですね。ちなみにそんな理想の職場で働く中で、ベンチャーに行くことになるわけですが、どのような理由があったのでしょうか。10年以上のキャリアがある中で、一旦離れるというのは勇気がいることだったと思いますが。

そうですね。理由は2つあります。第一生命には、「マイキャリア制度」という社内外を問わず、自分でどこに行きたいか手を挙げる制度があります。私は業務は変わっているものの職場はずっと同じ。そんな時にイントラネットでレンタル移籍の情報を目にし、そこに書かれていたフレーズが自分のことのように感じられ、突き動かされたんです。

――どんなフレーズだったのですか。

大企業に入って10年以上、仕事はこなせるようになった。
会社も嫌いじゃない。
ただ、このままでいいのだろうか、と思っていた。

といったような文章です。私も仕事はできるようになってきたし、それなりに評価もしていただいているけれど、第一生命の看板を外した私が、どれだけ社会で通用するのか、自分が社会人としてどれだけ成長できているのか、試したいと思ったんです。

もう1つの理由は、DXの推進ですね。
紙がデジタルになり、これまでリアルで対話していたものがオンラインになり、便利になるのと同時に、年配の営業職員やお客さまには逆にうまく情報を届けられないもどかしさを感じていました。そのため、外での学びによって、DX社会における情報伝達について、社内に貢献できることを増やしたいと思いました。

――小さなお子さんがいらっしゃるということで、そんな中でのチャレンジ。大変ではありませんでしたか。

実はレンタル移籍は私が自社の1期生だったこともあり、イメージできないこともあったのですが、家族も賛成してくれていましたし、当時の上司たちも背中を後押ししてくれたので、「やってみよう!」と思い切って手を上げました。

――ちなみに、移籍先に「チカク」を選ばれましたが、どのような理由でしょうか。

仕事でシニア層と関わる中で、「シニア層こそDXの力を借りて、便利になるべきだよね!」と考えていたので、チカクであれば新たな視点を得られるのではと思いました。チカクは、年齢やITリテラシーにとらわれることなく、家族がつながれる「まごチャンネル」を開発・提供している会社なので、すごくフィットしました。

一方で、これまでやったことがないことにチャレンジして大きな成長を得たいと思っていたので、チカクでは事業開発を希望したものの、まったくの未経験者。しかもチカク側は1年の移籍を希望していたのですが、私が行けるのは半年だけ。どう考えても不利な状況だったのですが、面談で「どうしてもチカクで働きたい!」と思いを伝えたところ、受け入れていただけることになりました。

移籍開始時に撮影したチカクメンバーとの1枚。中央が笠井さん。笠井さんの右隣がチカク代表・梶原さん、左隣が移籍先上司でパブリックセクター責任者の石井さん

とにかく動いてみれば、なんとかなる


――期待と不安を抱えながら移籍が始まったと思いますが、最初の頃はどうでしたか。

最初の1ヵ月は、もう打ち砕かれましたね(笑)。
第一生命では、分からないことは誰かが教えてくれるし、大体私の悩みの答えは社内にありました。でもそれは決して当たり前ではなく、とても守られた環境だったんだなと分かりました。

チカクでは、初日から「こちらがあれこれと業務を指示するつもりはないので、自分が進めた方がいいと思うのなら進めていいですよ。部下ではなくパートナーであって欲しい」と言われました。

これまでは会議に出席しても黙って聞いているだけということもありましたが、チカクで同じことをしていたら「発言しない人は会議にいないのと同じ。待っていても『何かありますか?』と振ることはないので自分から発言してくださいね」と言われてしまいました(苦笑)。

私は自分が受け身だと思ったことはなかったんですよ。これまでも新しいことをすることになったら「私やります!」と手を挙げてきました。でもそれは、上司がヒントをくれた中でプラスアルファのことをしてきただけだったんだと痛感しました。

――環境が全然違ったわけですね。

しかも、チカクでは使用するツールも全く違ったんです。MacもSlackも使ったことがなかったですし、Gatherというツールを用いて朝礼やミーティングが行われていましたが、ぜんぶ触れたことがない世界でした。

「私、10年以上社会人をしてきたのに、知らないことばかりだ」と、できない自分に失望する一方で、「でも半年しかないので、なんとしてでも何か残さないと!」と、焦りや葛藤もありました。

メンターの方がついてくださるのですが、担当してくださった椿さんは私がメンタルを保てるようにと、いつも細やかに気遣ってくだり、とても救われました。

でも自分なりにいろいろやってみても、最初の1ヵ月は全然うまくいかなくて。自分でどこまで判断してよいか分からず、周囲の顔色を伺ってしまい…。メンターの椿さんにも、顔色伺いした回数をカウントして、そこから最速で脱却しよう!と背中を押してもらいました。

――そんな状況から這い上がれたきっかけはありましたか。

新サービスの実証実験を秋田で行ったのですが、それをメディアに取り上げてもらうという仕事をチームで行ったことが大きかったです。

私はどうやって取材を取り付けたらいいか全く分かりませんでしたが、PRのスペシャリストでもある石井さんにアドバイスをもらいながら、なんとかメディア向けの発表会を短期間で建てつけることができました。結果的に、地元の新聞社とテレビ局3社に大きくご紹介いただきました。

この時、「自分でできないことは周りの力を借りることが大事!」ということや「とにかく踏み出して、動けばなんとかなる!」ということを経験から得ることができました。仲間との連携、スピードや行動量の大切さを学びました。

第一生命での業務が役に立った


―それはよかったですね。その後はどんなことをしましたか?

他のチームが新サービスの店頭販売をすることになったので、ジョインしました。実際に道行く人にお声がけして販売につなげるのですが、そこは私が第一生命でやってきたことだったので、だいぶ経験を生かせました。

慣れない方がいたので、「こうした方がいいよ」とアドバイスもできましたし、「いい成果を得られた」とチームの仲間から評価もいただけて嬉しかったですね。ここでやっと自信が持てて「チカクの輪の中に入れた!」と感じました。

また、店頭販売の期間が終わった後、今後の戦略など、チカクのメンバー全員で深い議論をする機会があったのですが、そうやって自信を持てたこともあって、私も自分なりの意見を伝えることができました。「こんなことも言っていいんだ」と皆さんから刺激を受けたことで、その後の発言や行動がさらに増えていったように思います。

――自信が持てたことで、動き方が変わっていったのですね。

そうですね。ここまでは移籍前半の話です。後半は「スケーラブルなビジネスモデルを見つける」というのが私のミッションでした。

たとえば既存の「まごチャンネル」に新機能を加えたら、どのような広がりが生まれるか?などを検証する仕事です。

元々やりたいと思っていた事業開発に近い業務でしたが、未経験なのでどうやって進めたらいいか、どの方向に向かえばいいか全く分からなかったのですが、移籍前に「これを理解しておくといいよ」と梶原さんに教えてもらったリーンキャンパス(※)を用いて、仮説思考を学びながら進めていきました。

(※)「Runnnig Lean」の著者 アッシュ・マウリャ氏が提唱するビジネスモデルを可視化するフレームワーク。

―― 学びながらの実践は大変そうですね。

そうなんです。そもそも仮説思考を用いて何かすること自体、これまでしたことがなかったので、新鮮だったのですが大変でしたね。

検証の結果、残念ながら私が導き出した案は実行にまで至らなかったのですが、「何かをする決断と同じくらい、しない決断も大切。今回の検証はすごく意味のあるものだ」と言ってもらえて嬉しかったです。

自分なりの仮説を持って多くの方にヒアリングし、検証を何度も直したりしながら課題の解像度を上げていくという経験によって、これまでになかった深い視点を得られました。

これまでは、「ある商品をどう売るか?」しか考えたことがなかったのですが、梶原さんからは「『まごチャンネル』を取り払っていいから、介護の現場で本当に必要とされていることが何かを見つけよう!」と言っていただき、広い視点で考えることもできました。

―― それはいい経験でしたね。改めて、多くの気づきを得たんじゃないでしょうか。

今後の仕事への向き合い方も大きく変わりました。
タスクをこなすことが仕事をすることだと思っていたのですが、チカクでは、「今日新しい学びがなかった=今日は仕事ができていない」という考えがあって、「今日何を学びましたか?」と問われた時に、ドキッとすることがありました。でも、最後は「チーム笠井」(笑)と言っていただけるほど、中心となって動くことができたのではないかと思います。

以前はアポイントが取れただけで仕事をしたつもりになっていましたが、それだけじゃダメなんだ、そこから何を得たのか、どんな気づきがあったのか。そこまで深掘りして考えることが大切だと。第一生命に戻ってからも、この感覚を忘れちゃいけないと思いました。

最終日、石井さんから花束を受け取る笠井さん

ベンチャー経験が社内に影響を与えている


ーー戻ってからはどんなお仕事をしているんですか?

今は自社に戻ってきて、これまでとは全く異なる部署にいます。本社のコーポレートコミュニケーション部の広告宣伝という部署で、CMを作ったり、web広告を出したりする仕事です。

チカクでの経験から、ここで活躍できるんじゃないかという判断での異動だったと思いますが、「異動先はマーケティング⁉︎ また越境だ!」と(笑)。でも異動先に身をおく中で、第一生命のサービスや情報をどうやったら届けたい人に届けられるかと考える仕事は、私のやりたい「つなぐ」ことだと実感しています。

なので、まずは今の部署でしっかり成果を出していきたいですね。広告宣伝の仕事は営業と違って自分がしたことがそのまま数値にあらわれるものではありません。「お客さまにどう感じてもらい、どのような行動をしてもらうことがゴールなのか」、仮説検証の考え方を取り入れながら思考しています。

また、自分の考えを発信できるようになったことも変化のひとつです。様々な方に連絡をとって関係性を築いたり、PRのセミナーに行ってみたり、フットワーク軽く動いていますね。

―― 先ほど行動量の大切さを学んだとおっしゃいましたが、それが生かされていますね。

はい。先日は社内で、レンタル移籍の経験を皆さんに話しました。私の話を聞いて「マイキャリア制度に手を挙げると決めた」とか「ベンチャーでの経験に興味がある」と言ってくださる方々もいて、自分の経験が社内に影響を与えられていることが嬉しくなりました。

――今後チャレンジしたいことや目標はありますか?

会社への貢献や自分の成長を考えたときに、ひとつの強みを持ちながら、いろんな事を広く横断できる人材になりたいなと思い、今は広告宣伝の仕事について学んだり、つながりを広げることに力を入れています。「つながりをつくること」は私のWILLなのですが、お客さまと会社のつながりはもちろん、そうしたことに留まらず、社内のスムーズな橋渡しもできる人材になっていきたいです。

これまでだったら「こことつながるのは難しそう」と躊躇してしまっていた方々にも積極的にコンタクトがとれているのは、チカクでの経験で余分なブレーキが外れたからだと思います。今後も学びながらどんどん行動して、いろんなことにチャレンジしていきたいですね。

移籍直後は、これまでの経験が通じず、打ち砕かれたという笠井さん。しかしベンチャーに行ったことで“ブレーキが外れた”という笠井さんは、自社に戻った今では、キャッチアップの速さ、仕事のスピードを評価されている様子。今後は顧客と会社をつなぐ役割だけではなく、社員と経営層、本社と支社をつなぐ存在にもなりたいそうです。笠井さんご自身、そして第一生命にどんな変化が見られるのか、楽しみでなりません。

Fin

▼ 関連記事
「人事はクリエイティブな仕事。“協創する人事”で日本を変える」第一生命保険株式会社 竹内 晴哉さん

協力:第一生命保険株式会社 / 株式会社チカク
インタビュー:秦 真紀子
撮影:宮本七生
提供:株式会社ローンディール
https://andloandeal.jp/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?