「ラストマンは自分」覚悟が見せる新たな世界-セイコーエプソン株式会社 川井純さん-
セイコーエプソン株式会社で、プリンターやプロジェクターの画像処理技術などの技術開発に携わる川井純(かわい・きよし)さん。世界に誇れる自社の技術を、もっと世の中に出していくにはどうしたらいいのだろう。働く中で、漠然とした疑問を持っていました。
そうした中で、社内公募で「レンタル移籍」の存在を知った川井さんは、ヒントを求めてベンチャーへ行くことに。行き先は、技術を事業に活用しイノベーションを加速させるBIRD INITIATIVE株式会社。移籍先で待っていたのは、これまで経験したことのない業務やカルチャーのギャップ。まさに”がむしゃら”に突き進み、少しずつ変化が生まれた1年間でした。想像を超えた日々のこと、そして今、川井さんが伝えたいことについて、お話を聞いてみましょう。
誇れる技術を世の中に出したい
ーーそもそも川井さんがセイコーエプソンを就職先に選んだきっかけと、これまでのお仕事について教えていただけますか。
私が学生の頃から、セイコーエプソンは液晶事業等でメディアに取り上げられる機会が多くありました。国内のみならず当時父が赴任していた海外でも、技術力が高いと評判だったんです。その高い技術に魅力を感じて入社を決めました。
会社に入ってからは、まず研究開発本部という部門でプリンターやプロジェクターなどの画像処理技術の基礎開発を担当しました。その後部署を異動し、自社が販売する製品の技術を担当する部門で働きました。製品の性能を上げるために、画像処理でどうやって課題を解決していくのかを考えて実装することがメインの業務でした。
ーー 具体的にはどのような業務になるのでしょうか。
たとえば、綺麗に印刷するためにはインク滴を紙面上の正確な位置に塗布する必要があります。インク滴が狙った位置に着弾しないと、局所的には問題がなくても引いて見た時に粒状感が悪くなったり意図しない色むらが生じたりします。コストをかければより正確にインク滴を塗布することができるのですが、量産品でそこまで精度を出すのは難しいです。そういった課題を画像処理で解決し、高品質な印刷ができるようにする技術の開発や実装を行っていました。
ーー 専門分野でご活躍される中、レンタル移籍に挑戦することになったきっかけを教えてください。
社内公募に手を上げて参加しました。自分自身が担当していた開発が終盤に差し掛かった頃、社内公募で募集があったんです。
興味を持ったきっかけは、「背広を着て外に出て仕事したいな」と思ったことでしたね(笑)。これまで私は開発の領域を担当することが長く、基本的には社内の人とのやりとりがほとんどでした。一度会社の外に出てみることにも、興味を持っていたんです
ーー 何か他にも挑戦を後押しする思いがあったのでしょうか。
セイコーエプソンは高度な技術を持っている会社ですが、それがなかなか世の中に広めきれていないのではないかと思っていました。でも、長らく会社の中にいる自分では、その理由がわからなかったんです。それを叶えるヒントが会社の外にあるんじゃないかと思い、そのための実践的な訓練を受けてみたかったことも、一歩踏み出せた理由でしたね。
ーー 数ある移籍先の中で、BIRD INITIATIVEを選んだ理由は何ですか。
BIRD INITIATIVEが掲げていたフィロソフィー「殻を破りR&Dからイノベーションを最速で実現する」に共感したことが大きな決め手でした。最速で技術を世の中に出して事業化し社会課題解決につなげるというBIRD INITIATIVE社の想いが、自分の持っていた課題意識にも合致したんです。実際にメンバーの一員として働くことで、自分自身にも遂行できる行動力をつけたいと思っていました。
“空回り”ばかりの3ヶ月
ーー 移籍後は、どのような業務を担当しましたか。
会社が2020年9月に設立されて、私が移籍したのが12月1日と、設立から間もないタイミングでした。そのため、CEOである北瀬さんと行動をともにしながら、BIRD INITIATIVEの多岐にわたる業務を担当しました。お客さんにプロダクトやサービスの説明をしたり、顧客管理やマーケティングに取り組んだり、商標出願の実務をするなど、実際の業務にあたりながら学びました。
ーー 移籍後、新しい環境には馴染めたのでしょうか。
とにかく、始まって3ヶ月くらいは空回りばかりでした。正直、よく覚えていないくらいです(笑)。業務内容は初めてのことがほとんどですし、企業の文化もまったく違う。「よし、やってやるぞ!」という気持ちで移籍したのでやる気だけはあったのですが、何をしてもうまくいきませんでしたね。仕事の進め方や会話の仕方すらも違うために、当初は自分が何ができていないのかすら全然理解できませんでした。
ーー 特にそのギャップを実感した出来事はありましたか?
3ヶ月ほど経った頃、会社のホームページをリニューアルするという仕事がありました。私はそのプロジェクトマネージャーとして、他のメンバーにデザインや構成を考えてもらい完成まで進めることが担当でした。けれど、自分にWEBサイトの制作経験がなかったこともあり、制作する方にお願いしたつもりでいたのですが、蓋を開けてみると思った通りに進行できておらず、更新したいタイミングに間に合いませんでした。
その業務を見た北瀬さんからは「プロジェクトマネージャーとして行動する時には、お願いして終わりではなくフォローして進捗までしっかり確認しましょう」と叱られました。
これまで自分が進めてきた仕事では、「任せたらあまり口を出さない」のがよいと思っていたんです。仕事の進め方の違いを痛感した出来事でしたね。
アウトプットの質が上がるきっかけ
ーー そんな状況を打破するタイミングはあったのでしょうか。
移籍中は、メンターの方やBIRD INITIATIVEの他のメンバーからのアドバイスをもとに地道に改善していきました。行き詰まっていたピークの3ヶ月目の頃、メンターの方に「まず、川井さんは寝てください」と言われました(笑)。同じ時期に、他のメンバーにも「断捨離してください」と。ふと気づけば、朝から晩まで無我夢中に自分のやるべきことを詰め込んでいたんです。そこで、
"このままがむしゃらに進むだけではダメだ”
そう気づきました。
ーー 立ち止まって考えるきっかけになったのですね。
そうですね。同じ頃、BIRD INITIATIVEのCorporate Teamの方からアドバイスをもらい、改めて自分の業務を書き出して、期日を確認し優先順位をつけました。仕事を進める上では当たり前と言われることですが、環境が変わった中ではできていなかったんです。それから1、2ヶ月ほど経った時に、周囲からも「アウトプットの質が上がった」と言われるようになりました。その頃から、周りのことが少しずつ見えてきたように思います。
ーー 移籍先で手がけた中で、印象に残っている業務はありますか。
自分のペースが掴めてきた頃にメインとして担当した、アライアンス(業務提携契約)の取りまとめを行う業務です。BIRD INITIATIVEは非常に高度な技術を持つ会社ですが、それを最大限活用できるように、他社との連携に取り組んでいました。
BIRD INITIATIVE側は技術を中心に提供し、それに対して提携先は人材・販売するための資源・ブランド力を提供し、連携します。それらを最適な形でつなげ、シナジーが生み出せるように調整する必要があるんです。
ーー 川井さんは両者をつなぐ役割を任されたんですね。
会社同士の連携は、権利関係をどう整理するのか、機材の扱いはどうするのか、プロモーションはどう打つのかなど、調整が必要な事柄が多くあります。たとえばプレスリリースひとつ取っても、2社で打ち出したい内容をすり合わせる必要があります。PRする内容をCEOの北瀬さんと調整したり、R&D(研究開発)チームに確認を取ったり、提携に必要なタスクを一つずつ洗い出し関係各所とつなぐ。そんな役割をしていました。
ーー まさに、高度な調整力が求められる業務なのではないでしょうか。
今思うと、アライアンスの業務が始まった当初、自分の存在は関係者の予定を調整する「単なる調整役」だと認識していました。少し経ってから、「こうしたらもっとスムーズに進むんじゃないか」など、自分で気づくことも増えて、積極的にトライアルをはじめました。
ーー 具体的にはどのようなことを?
たとえば、会議の運営の仕方ですね。BIRD INITIATIVEでは、リモートの会議を出席者に確認を取って録画することが多いんです。自分がファシリテーションを行う機会も多かったのですが、なかなか思ったようにできなかったんです。ある会議でBIRD INITIATIVE CDOの方が「書き起こし議事録は不慣れな分野をキャッチアップするのに効率的な手段の一つ」とおっしゃっているのを聞いて、会議の録画を見返して会議中の発言をすべて書き起こす、ということを行いました。
見返すと、自分がファシリテートしているはずなのに「えーっと」や「あー」といった止まる時間が多く会議が間延びしていて、自分でもひどいなと(笑)。そこから半年くらいトライアル&エラーを続けていたのですが、自分でも変わったと思えるほど進行ができるようになりましたね。
ーー コミュニケーションに真正面から向き合われたのですね。
移籍を通じて、“相手に伝わるコミュニケーション”ができるようになったことは、今も自分の中で財産になっています。
相手に伝える難しさを感じていた時、直属の上司から、「何がしたいのか、『会話レベル』で言語化してみるといいですよ」とアドバイスをもらいました。そこで会議の台本を作ったんです。実際にセリフにしてみると、伝えるために必要な言葉や順序がはっきりしてくる。毎回周囲からフィードバックをもらいながら、少しずつ改善したことが自分自身の変化につながったんだなと思っています。
「最終責任者は自分」と臨む覚悟
ーー 仕事への向き合い方に変化はありましたか。
移籍中に、日立製作所の元会長の川村隆氏が執筆した『ザ・ラストマン』という本を読みました。その中で、「自分の後ろにはもう誰もいないと思って仕事をするといい」という言葉に出会ったんです。つまり、とにかく自分が最終責任者だと思って動くという意識です。アライアンスの業務が始まって半年ほど経った頃には、
「このプロジェクトは自分が引っ張る」
という覚悟がついていました。不思議なもので、そうするとかえって気が楽になったり、プロジェクトを回すことが楽しめるようになったんです。
ーー 責任者というプレッシャーがある中で、楽しめた理由とは。
気にすべきは、プロジェクトが上手くいくかということだけ。人の反応やプロジェクトと関係のないことは気にせず、物事がいかに進むかということに集中できるようになりました。スタートした当初は、「調整役」として立ち振る舞っていたことでかえって周囲に振り回されていたように思いますが、マインドを変えたことをきっかけに、格段にスムーズに進行できるようになりました。
ーー 調整する立場から、主体的に動かす立場へ変わったのですね。
仕事に対しては移籍前も一生懸命取り組んでいたつもりだったのですが、レンタル移籍を経てさらに責任感も増しました。
「最後は自分しかいないんだ」。
そう思って取り組むと、また違う世界が見えるんだということを改めて感じられた3ヶ月でした。
泥臭くても、自分が背中を見せていく
ーー セイコーエプソンでの現在の仕事を教えてください。
現在は、技術開発本部デバイス応用開発部という部署に所属し、会社が保有する基礎技術の応用開発に携わっています。開発した技術をどうやってビジネスにつなげて世の中に出していくのかという、ビジネス開拓の役割もあります。それはつまり、会社としての次の事業の種になりそうなものを見つけて、どう世の中に出すかの道筋をつくるということ。まさに、移籍前から考えていた課題に取り組む、そんな部署にいます。
ーー 移籍を振り返って、今、伝えたいことはありますか。
私は40代半ばですが、
「無我夢中になって這いずり回って前に進んでるぞ」
という姿を若いメンバーに見てもらいたいですね。もし、若いメンバーが同じような壁にぶち当たってつまずきそうになった時に、思い出してもらえれば嬉しいなと思います。
ベンチャー企業というと結構「きらびやかな世界」をイメージする人が多いと思うのですが、実態はすごく泥臭いことを“きちんとやらないと前に進まない”場所なのだということを、レンタル移籍で学びました。どんな環境にいても、とにかく日々の業務にきちんと取り組む。それは、あらゆる場所で基本になるんだな、と改めて思いましたね。
ーー 今後、挑戦したいことを教えてください。
若手や中堅など、立場も年齢も関係なく「技術をビジネス化して世の中に貢献していく」ことに力を合わせて取り組んでいける場所をつくりたいです。セイコーエプソンは、「家庭で写真を印刷できる」という今までになかったプリンターを世に出して世間の認知度が上がり事業も拡大しました。セイコーエプソンの次なる未来を拓く技術を開発し、社外の人とも一戦を交えて磨きながら、事業として外に出していきたいですね。
インタビュー中に何度も「本当に、人に恵まれたレンタル移籍でした」と繰り返し話していた川井さん。
一流の技術を支えるベテランのキャリアを持ちながらも、自分自身が先陣を切ってがむしゃらに取り組み、常にチームと社会のためにとまっすぐに新たなキャリアを築いた1年間。誇れる技術を世の中に生かしたいという、ぶれない思い。川井さんの背中を追いかけていく仲間とともに、世の中でキラリと光る技術が生み出されていく日も近いでしょう。
Fin
【ニュースレターのご登録はこちら】
ローンディールでは、働き方や企業・組織のあり方を考えるきっかけとなる情報を、皆さまにご提供してまいりたいと考えています。そこで、ご関心のある方には、レンタル移籍者のストーリーや最新のイベント情報などをニュ
ースレター(月1回程度)としてお送りします。