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【第1章 2万人の期待を背負って、関西電力からベンチャーへ】30歳の新人 〜入社9年目で見つけた、 本当のチャレンジスピリットとは?〜


ー9年目を目前にやってきたチャンス

「田村、行ってみないか」

大阪府大阪市北区中之島にある地上42階の超高層ビル。ここは、今年で設立67年を迎える関西電力株式会社の本社。

2017年10月某日。
34Fのとある一室で、30歳になったばかりの田村博和(たむらひろかず)は、興奮を隠しきれないでいた。待ちに待ったチャンスがやってきたのだ。

「田村、行ってみる気はないか?」
「……はっ、はい!!!!」

元気よく答える田村の回答に、部長の神田も満足そうである。

田村は、部屋を出て行く神田の背中を見送りながらも、1ヶ月後から始まる新しい生活のことを妄想し始めていた。

(今度こそ……!)

約1ヶ月後の2017年11月から半年間、東京のベンチャー企業で仕事をすることになる。「ベンチャー企業かぁ」田村は期待に胸が膨らんでいた。(のちに期間延長となり8ヶ月の移籍となる)

滋賀県生まれの田村は、野球少年だった。
高校では、甲子園を目指すため、京都の名門校に進学。たくさんいる野球部員の中で、1年生の頃はピッチャーとして活躍。地元メディアにも取り上げられるほどで、期待の新人として周囲からも注目されていた。もちろん、そのまま野球の道を進むつもりだった。

しかし———、
そのプレッシャーからか「イップス」を発症。いつしか思うようにプレイできなくなっていた。それからしばらくして、野球の道を離れることになる。

以降は勉学に励み、都内の大学に進学。大学時代は勉強サークルや学生団体の事務局でリーダーを務めるなど、勉学やビジネスの面でも才能を発揮する。もともと好奇心旺盛な田村は、いつしか新しいことを作りあげることに夢中になっていた。

だからこそ就職の時は「ベンチャー企業でチャレンジしたい!」そう思ったこともある。
当時、ITの起業ブームで若手経営者が世の中を賑わし、田村も「俺も20代は死ぬ気で働いて稼ぐぞ!」と熱くなった時期もあった。

しかし、そのチャレンジ精神は、「大きな組織で大きな仕事を成し遂げたい!」という想いに至り、関西電力に入社した。

—早く自分もプロジェクトを立ち上げたい

———あれから8年が経とうとしている。

もちろん、大手企業でありながらも、常に挑戦を続けるチャレンジスピリットを大切にしているこの会社は大好きだ。これからもこの会社で貢献したいと思っている。

しかし、田村はこの会社で何を成し遂げたいのかを見失っていた。

新入社員時代の営業を経て、経理を5年ほど経験した29歳の頃、新規事業開発を行う経営企画室へ異動。イノベーション推進グループという新規事業を開拓する部門に配属された。「新しいビジネスを生み出したい」という思いが強くなる。
にもかかわらず、一歩踏み出せない自分がいた。

配属後、最初はビジネスコンテストの企画を担当。作り上げていく楽しさを覚えたものの、そもそもこの企画は上司が立てたもので、田村はあくまでサポートに過ぎない。優秀な上司についていくことが精一杯だった。

周囲のメンバーが続々と新規事業を企画していく中で、自分でも早くプロジェクトを立ち上げたいと思っていた。しかし、何をしていいかわからないでいた。

高校生の頃、やむなく野球の道を断念し、大学時代に出会った「新しいことにチャレンジする」楽しさ。それをもっと大きな舞台で成し遂げたい、そう思って関西電力に入社したものの、日々に追われ、気がついたら8年が経とうとしている。

そう考えていた矢先、「レンタル移籍」の対象者として、田村に白羽の矢が立ったのだ。

「レンタル移籍」で変われるかもしれない……

冬の気配を感じ始めた10月下旬。
東京に向かう新幹線の中で、田村はこれからの日々に大きな期待を持ちつつも、不安を隠せないでいた。

明日から「半年間のレンタル移籍」が始まる。


「……レンタル移籍、ですか?」
はじめて上司からこの話を聞いたときのことを思い出していた。

「田村、レンタル移籍でベンチャー企業にいってみるか!」
「移籍? ベンチャーに?」
「そうや、期間限定でベンチャーに行くんや」
「はぁ」
「つまり、、、」

説明はこうだった。
レンタル移籍とは、元の会社に所属したまま、半年から1年程度の期間、ベンチャー企業で業務を遂行するという仕組みだった。ベンチャーという、新しいことにチャレンジできる環境下で、自ら行動し実行する体験を経ることで、研修では得られない成長を期待できるという、株式会社ローンディールが提供するサービスだというのだ。

「そんなサービスがあるんですか!!!」

田村の周囲には、チャレンジスピリットを持った仲間がたくさんいた。そういう仲間と過ごすことは田村にとって刺激でもあったが、一歩踏み出せない自分に、どこかコンプレックスもあった。

だから、「レンタル移籍」を決めた時、「これをチャンスに自分もきっかけを掴みたい。この経験を活かして、関西電力に戻って、大きなプロジェクトを作りたい!」そう強く思った。

幕末の志士・高杉晋作に憧れ、日本を代表する実業家・渋沢栄一を敬愛している田村は、少しだけ未来の自分を想像した。

—「希望」と「不安」はいつも背中合わせ

しかし、移籍を目前にして、不安の方が大きかった。

田村の移籍先は「株式会社チカク」という東京にある有名なベンチャー企業。チカクは、「まごチャンネル」という、テレビを使って、愛するまごの様子を見ることができるシニア向けのインフラを提供している会社だった。大切な人を近く、そして知覚できる世の中を目指している。
田村はここで、事業開発を担当することになる。


移籍する3週間前のこと。
はじめて、チカクの梶原社長と面談した。

その時聞いた、梶原社長のサービスへの熱い想いやビジョンに感銘を受けつつも、自分が本当についていけるのか、不安になった。

また、チカクには優秀なエンジニアがたくさん働いており、それも田村にとっては悩みの種だった。関西人なのにボケはできない、それでもいじられることは誰よりも得意、という親しみやすいキャラクターで、比較的誰とでも仲良くなれる自信はあったのだが、自身のITリテラシーの低さを痛感しており、コミュニケーションが取れるのか不安だったからだ。

とはいえ、関西電力で働いてきた自負もある。
今回の移籍で、自身の課題でもあった「ロジカルシンキングを身につけたい」という想いと、「自身の開発したプロジェクトで結果を出して、関西電力でその力を発揮したい」と強い想いもあり、不安を抱えながらも、これからはじまる新しいチャレンジに期待を抱いていた。

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移籍直前の関西電力にて。移籍直前まで業務を行っていた。

—「Slack? 何それ」
自分ルールが世の中で通用しない世界

そして迎えた出社初日。
株式会社チカクは、東京渋谷区のマンションの1室にある。

社員、インターン合わせて十数名の会社で、メンバーとの距離も近い。多くの社員がエンジニアであるオフィスでは、皆がカタカタとパソコンを叩いていた。

仲良くなれるだろうか、、、再び不安がよぎる。
(後から、みんないい人たちばかりと知ることになるのだが)

梶原社長から、田村に最初の業務が言い渡された。
関西電力では、部門長ですら直接話す機会がないのに、社長がこんなに近いなんて、とガチガチに緊張していた。

「じゃ、まずは、SlackとGoogle Driveに入れるようにして」
「す、すらっく??? どらいぶ? すみません、何でしょうか、それ」
はじめて聞く言葉に、田村には、それらがツールであることすら分からなかった。

「とりあえず、一緒にやって欲しいことがあるからKeynote開いて」
「きーのーと?」

「そこからかぁ・・・」
梶原社長がボソッとつぶやく。

田村は居心地の悪さに動揺して、思わずパソコンを落としてしまった。
しかも、それは梶原社長の大事なパソコンだった。

「すっ、すみません……」

この場所で、本当に半年間働くことができるのだろうか。
そんな不安を抱えたまま、初日がスタートした。


↓  【第2章 ベンチャーで働くということ】へ続く ↓


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取材協力:関西電力株式会社、株式会社チカク
storyteller:小林こず恵
提供:株式会社ローンディール 
http://loandeal.jp/


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