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「“がむしゃらにやる”だけでは通用しない世界を知った」 京セラ株式会社 伊藤卓真さん

  京セラに入社以降、プリンティングデバイス事業本部で営業として働いていた伊藤卓真(いとう・たくま)さんの元に、突如舞い込んだスタートアップへの移籍話。「レンタル移籍」を通じて、1年間行くことになったのは、ラボ・実験機器のシェアリングプラットフォームを提供する株式会社Co-LABO MAKER(以降、コラボメーカー)。アグレッシブな性格の伊藤さんは勢いよく馳せ参じたものの、未知の領域にたじろくばかり……。
知識も人的リソースも足りない状態ではじまった1年間は、伊藤さんに何をもたらしたのか。その経緯を伺いました。

志望理由はエレクトロニクスの可能性に未来を感じたため

──伊藤さんは、京セラで電子デバイスのアカウント営業を一貫して行われてきたと伺いましたが、そもそも、京セラに入社された志望動機は何だったのでしょうか?

 「大学生時代を謳歌していたときにiPhone 3GSが爆発的に普及しまして、世界がガラッと変わりゆく様を目の当たりにしたんです。iPhoneはアメリカApple社の製品ですけど、中身のほとんどは日本の電子部品で成り立っていることを知って驚きました。エレクトロニクスの持つ可能性に魅力を感じたのが原点ですね」

──イノベーティブなところに惹かれたのですね。

 「アニメ『攻殻機動隊』が好きで、そこには機械を体に組み入れる『義体化』や脳を『電脳化』した人間が登場するのですが、50年後くらいにそうした世界が実現するとしたら、セラミックなどの先進素材が絶対に使われると確信しています(笑)。自分が『義体化』『電脳化』するかはわかりませんけど、いまやっている仕事の先にある世界だと感じるんです」

振り幅を広げるために間逆な事業を選んだ

──2019年12月より、ラボ・実験機器のシェアリングを行っているコラボメーカーへ1年間移籍されましたが、どういった経緯だったのでしょうか。

 「正直にいうと、移籍する2カ月前まで、『レンタル移籍』というベンチャー出向制度があることすら知りませんでした。でも、そういう制度があると上長から話があって、またたく間に行くことになりました(笑)」

──もともと、外の世界を見たいと強く望んでいたわけではなかったのですか?

 「そうですね。話を聞かされたとき、最初は戸惑いました。でもすぐにワクワクする気持ちが勝って、『やりたい!』と思えたんです。京セラでの営業活動にはやりがいを感じていますけど、やはり製造やサービスにおける全行程のごく一部にしか立ち会えないわけで、もっと広い視野で物事を捉えてみたいと思っていたんです。漠然と、1年くらいコンビニの店長をやってみたらおもしろそうだなって思っていたこともあって。だから、今回の話は渡りに船でした」

──移籍先として、コラボメーカーを選ばれた理由は?

 「実体のある製品を取り扱うメーカーに在籍していますので、まったく異なる、形のないサービスを提供するスタートアップがいいのかなと。思いっきり、振り幅を広げてみたかったんです。多分、一生に一度の経験でしょうから。コラボメーカーが事業領域としている研究開発の支援や理化学機器の取り扱いなんて、私にはまったくの未知でした。それにメンバーもほんの数人しかいませんでしたから、社長と二人三脚で責任のある仕事ができるとも考えていました」

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写真左:Co-LABO MAKER CEO 古谷優貴さん、右:京セラ 伊藤卓真さん

「とにかくやるしかない!」状況に衝撃を受ける

──そうしてコラボメーカーに移籍されて、最初の印象はいかがでしたか?

 「何もなさ具合が想像以上でした(笑)。たとえば、コラボメーカーではラボの貸し出しシェアリングサービスを行っているのですが、『借りたい』という希望者からの問い合わせはかなりの数なのに、貸し手が全然足りておらず、しかも、貸し手を見つけ出す方法や両者をマッチングさせるノウハウも確立していませんでした。さらには契約書や取引条件の雛形もなく、真っ白なワードファイルに一から文章を打ち込んでいったり……本当に一から作り上げていくという状況で。かなり衝撃的でしたね」

──各分野に担当者がいる大企業なら、そうした状況はありえないでしょうね。

 「はい。ここでは自分でやらないと何も物事が進まないし、正解がわからないまま自分で決めないといけない。社長には相談しますけど、研究開発の方ですから営業の知識はお持ちではなかったですし、メンバーももう一人いただけで人的リソースもまったくなくて。『がんばればどうにかできる』という精神論で飛び込んだのですけど、それでは済まない世界があるのだと痛感しました(笑)」

──ちょっと後悔されたり?

 「いえ、そのときはネガティブな気持ちになることはありませんでした。『めっちゃ忙しいじゃん!』『でも、やるしかないよね』という心境でしたね(笑)」

地雷を踏んでもテレアポしまくった「準備期」

──1年を振り返ってみていかがですか?

 「大きく3期に分けられると考えています。はじめの3カ月間は、スタートアップの実情に衝撃を受けつつ、自分ができることを見つける準備期。とにかく忙しかったですね。ラボの貸し手を探し出さないといけないので、はじめてテレアポを経験しました。経験者はいませんからすべて我流ですし、大企業の看板もないからこっぴどく拒絶されることもザラでした。実際にテレアポしたのは1日に1~3時間、20件前後でしたけど、すごく疲れるものだと実感できました(笑)。特にバイオベンチャーからの貸し出し希望者が多かったことから、社名に『バイオ』がついているすべての国内企業に電話したんじゃないかと思います」

──いきなり、初めての経験を味わえたわけですね。

 「はい。京セラでは、お互い見知った間柄だけでの営業でしたから。でも、自分は及び腰になる前に行動に出てしまう性格でして、テレアポ自体はバンバンやれていました。大学の先生から『なんなんだお前は!』と怒られることもよくあって。今考えれば『そりゃ怒るよね』という内容で、慣れるまではちょくちょく地雷を踏んでしまっていましたね……。また、問い合わせ段階で確認すべき情報や条件面のすり合わせ方、契約書の結び方、三者面接の設定やタイミング、値決めといった各種スキームを確立させる必要もありました」

──手探り状態で事業を進めていったのですね。コラボメーカーが取り扱っている事業はかなり特殊だと思うのですが、だからこそ苦労された部分もあるのでしょうか。

 「研究ラボは自前で持つのが当たり前とされるため、部外者に見せたり貸したりしたくないのが実際のところです。そうした現状があるからこそシェアリングを促すコラボメーカーの存在が際立つのですが、『ラボを貸すなんて常識的にありえない』という考えを突破するのはかなり難しかったですね。『こういうと話を聞いてもらいやすい』『こういう企業は応じてもらいやすい』など、ノウハウを積み重ねていくしかありませんでした。でもそういった地道な活動を繰り返していった結果、マッチングの成立も増え、売上にも貢献できました」

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コラボメーカーと連携している、とあるラボの一角

マネジメント経験を養った「拡大期」と事業の立て直しに苦しんだ「引き継ぎ期」

──そして4カ月目からは、次のタームに入られたわけですね。

 「次の3カ月間が拡大期です。最初の3カ月でテレアポの成果が出始め、大型の年間契約も取れて『これはいける!』となったんですね。事業を回すには人的リソースの増強が不可欠で、社長の主導のもと研究開発経験のある人材をインサイドセールスとして採用しました。私はマッチングやクロージングは得意なのですが理化学の研究分野には明るくないため、その部分をフォローしてくれる人材を補強したかったんですね。私はチーフセールスマネージャーという立場になり、はじめて部下を持つことになったのですが……これがまた苦労しました」

──苦労とは、どのような?

 「新しく入ったメンバーは、研究職に詳しくてもスタートアップでの経験や営業経験がなかったため、私が指示を細かく出さないといけなかったんです。とはいえ、営業のマニュアルもトークスクリプトも作れていないし、問われる事案も先例のないケースばかり。また、他にも顧客対応をしているメンバーはいて、アメリカ在住だったり、週3勤務という変則的な働き方をしている方だったり、社会復帰したての主婦の方だったり、バックグラウンドも働き方も様々。そんな中でマネジメント経験ははじめてのことでしたから、どうすればうまくやれるのかわからなくて。行き当たりばったりの指示を出してしまったり、おまけに、マイクロマネジメントをしすぎて、メンバーのパフォーマンスを下げてしまったり、組織として崩壊寸前になってしまったんです……」

──どうやって改善していったのでしょうか?

 「この悩みをメンターの千葉さんに話したところ、『コトを成し遂げるために組織があります。議論や感情を人に向けるのではなく、コトに向けましょう。伊藤さんはこの視点で議論できていますか?』と言ってくださったんです。そこでハッとしました。自分の常識を押し付けてはいけないし、人にどうこう言う前に、コトを成すための最善策は何か? 組織としてどうすればいいのか? という視点を持たなければいけなかった。なので、組織として動いていけるよう、ビジョン共有を徹底したり、自分なりに『顧客対応の心得』をつくり、メンバーに展開するなどして、組織として機能するよう、心がけていました」

──その後どうなったのでしょうか?

 「悪戦苦闘しながら数カ月が経った2020年7月頃、経営的に大きく落ち込みました。新型コロナウイルスの影響で売上が立たなくなってしまったんです。そこからどうやって立ち直っていくのか……もがき苦しんだのが、最後の3期目です」

──スタートアップであるがゆえに、環境要因から受ける影響は大きいですね。

 「はい。ラボのシェアリング事業だけでは売上が見通せなくなったことから、以前から社長が構想していた中古機器の販売や研究開発のコンサルティングといった新規事業に着手しました。これまでに培った人脈を活かし、顧客インタビューを実施したり、高速で仮説検証を実施したんです。試行錯誤の結果、経営の安定化に向けた流れをつくるところまで、なんとか持っていけました。また、私の移籍期間の終了が見えてきたので、営業体制の受け継ぎや教育も同時に進めていました。出社最終日の夜、社長が私のためにお別れ会を開いてくれたのですが、最後の最後まで事業方針について二人で話し合いましたね。とにかく怒涛の日々でした」

これまでのスタイルでは通用しない状況を味わえた

──コラボメーカーでの1年の経験を経て、ご自身はどのように変わられたと思いますか?

 「未知の領域に対し、いっそう臆さなくなりました。自分でいうのもなんですけど、もともと『行動あるのみ』なアグレッシブな性格なんです。でもそれって、PDCAサイクルでいうD(実行)とA(アクション)に偏重していたんですね。ところが、コラボメーカーの事業領域についてはあまりにもわからなさすぎて、行動を起こすことすらできなかった。仮説を立ててターゲットを絞るというP(プラン)や、結果を検証するC(チェック)を行わなければ先に進めなかったんです。ホームラン狙いでとにかくバットを豪快に振っていたのが、ちゃんと頭で考えて適時打を狙うようになった感覚です」

──社長の右腕として、経営者視点が求められていたわけですよね?

 「その右腕が『すごくか細かったかな?』とは思っています。安定して黒字を出すところまでいけませんでしたし、資金の使い方にも反省する点は大きいので。ただ、私にとって貴重な体験であったことは間違いありません。それまで企業経営者や役員を相手に同じ立場で談じた経験はありませんでしたし、自分が決定権者だから『持ち帰って検討します』が通じないのも初めてでしたから。虚勢を張ってばかりでしたけど(笑)、とても刺激的な経験で、これまでにない視座を持つことができました」

──一方で、コロナの影響などもあり、モチベーションが保てなくなったことはなかったですか?

 「もちろんありました。正直、本当に辛いときは『京セラに返してくれ!』とも思いましたし(笑)。かなりメンタルをえぐられたことも。状況によってはやらざるを得ないけど、そうならないよう行動する。その姿勢が大切なのだと心に刻みましたね。メンターの千葉さんから毎週のように叱咤激励していただいたのも、支えになりました」

自分が井の中の蛙だった事実に気づいた

──京セラには稲盛和夫名誉会長という偉大な経営者がいらっしゃり、「人間として何が正しいか」を物事の判断基準において行動する「京セラフィロソフィ」という経営哲学がありますが、移籍を経て気づかれたことはありましたか?

 「方法論としての側面ですけど、メンバー間で共通理念を持つことの大切さを実感できました。一本筋が通ったことを皆で共有できていると、経営者として頼もしい存在になるとわかったんです。コラボメーカーではたくさんの人を採用し、スキルや学歴を重視しましたけど、哲学や理念の点でうまく合わなかったんです。また、京セラでは『アメーバ経営』という全従業員が経営者意識を持つ手法を推進しているのですが、今回のマネジメント経験からも、その大切さを実感しました。あらためて、よくできた考えだと感じましたね」

──1年の移籍期間を終え、京セラに戻られてからはいかがですか?

 「戻った先は同じ部署ですが、移籍経験を踏まえて新規開拓や新規事業の創出など、開発営業に近い仕事を増やしていただいています。これまでは『営業マン』でしたが、今はより俯瞰的な『ビジネスマン』という意識が強まりました。井の中の蛙だったなって。京セラでは自分の至らなさに気づかなかったんですよね。それが、スタートアップの経営者や中小企業役員などいろいろな方々の存在を間近に感じたことで、より広い世界へと目が向くようになりました」

──ご自身のキャリア形成に大きなプラスとなりそうですね。

 「あまりキャリア形成を意識しないタイプなのですけど、いい経験だったと実感できていますし、これからももっとレベルを上げていきたいですね。特に新規の用途開発や事業開発といった分野で実績を出していきたいという想いが強まりました」

大企業の強みを最大限に活用していきたい

──ちなみに、こうしたスタートアップへの移籍は、大企業人材にとって必要なことだと思いますか?

 「私にとってはすごくありがたい、貴重な経験でした。でも、誰にとってもすばらしいものではないと思います。20代の最初は上司から言われたことに従うだけでも伸びるかもしれないですけど、その後は成長曲線に陰りが見えてもがきはじめるもの。そうしたときにこそ活用したらいいと思います。『今の業務がつまらないから外に出てみたい』というのでは、うまく行かない気がします」

──伊藤さんは、移籍中に多くのビジネス書を読まれて勉強に励まれたとか。

 「多くの人と出会い、自分のレベルの低さに恥ずかしくなったんです。京セラにいたときは、アグレッシブに動いてそれなりに結果も出していたつもりでした。多少的外れな行動でも、給料をもらえてしまいますから。でもそれは一種の大企業病で、自分のレベルは自分が思っているほど高くないと気づいたんです。それで猛勉強していました。ただその一方で、大企業だからこその良さを痛感したのも事実です。やはり会社という単位で見れば、多くの点でスタートアップよりも大企業のほうがリソースを持っている。業績が傾いてもいきなり資金が枯渇することはありませんから。ぬるま湯に浸かる気分でいてはダメですが、大企業だからこそ恩恵は活用していくべきだと思います」

──そうした気づきを得て、今後どうされていきたいですか?

 「京セラというすばらしい環境にいることを最大限に活かしていきたいですね。そして10年後や20年後にも、生き生きと働く仲間と一緒に仕事していきたいと思っています」


新たな経験を得るとともに、足りていなかったスキルや自身の立ち位置を知ることができた伊藤さん。より広い視野を獲得し、これまでと質の違うアグレッシブさで日々を過ごされていくことでしょう。

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協力:京セラ株式会社  /  株式会社Co-LABO MAKER
Interview&Writing:横山博之
提供:株式会社ローンディール
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