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大企業からベンチャーへ ーみんなの挑戦ストーリーー

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#新規事業開発

村田製作所の"越境トリオ”に聞く。「会社は思っているより、自由な場所だ」

会社は動きにくい場所。ではなかった ーみなさん、三者三様、半年間異なるベンチャー・NPOで…

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ゼロからシステムを作り上げた経験を経て、新しいポジションで活躍

イノベーションの担い手として -そもそもどのような背景で、レンタル移籍がスタートしたので…

ベンチャーで確信。「組織は自分の手で変えていける」 NEC 清水謙杜さん

「優しくしよう」のバリューに惹かれて——NECで担当していた業務を教えてください。 放送系…

会社にないなら自分たちでつくろう。ひとりのリーダーシップが、大企業を動かす-三菱…

組織を変革するリーダーに ――入社16年目でレンタル移籍を決意した理由は、どこにあったの…

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「すぐビジネスの第一歩を踏み出せる面白さ」日産自動車株式会社 斎藤 俊輝さん

ベンチャーでも経験が生かせるかもしれない ――以前は、マーケットインテリジェンス…

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「自分一人でもいいからやろう!」その熱量が周囲を動かした -小野薬品工業株式会社 …

新しいことにチャレンジできなくなっている危機感 ——小野薬品工業ではどんなお仕事をされて…

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完璧なプランなんていらない。とにかくやってみることで道が開ける - 小野薬品工業株式会社 塩屋 裕樹さん -

「もっとなにかできることがあるんじゃないか」 自分の価値を発揮するために―小野薬品ではどのようなお仕事をされていましたか? 海外の企業やお医者さんたちとがんの薬を作っていくために提携先を探し、運営する仕事をしてきました。 入社して最初はすでに始まっていた脂質関連の薬の研究に従事していました。その後2年間、がんの薬の副作用の吐き気を抑える薬を、お医者さんや薬局の先生方に説明する営業の仕事をして、また同じ研究に戻りました。その時にはプロジェクトも進み、海外の会社や研究者と

「正解」を探すことをやめて、初めて見えた仕事と自分への向き合い方 / 小野薬品工業…

応募動機は「自信のなさ」からの脱却ーーまず、レンタル移籍への参加を決めた経緯を教えてくだ…

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大企業を飛び出してみたら、「自ら動く」自分になれた。東芝テック株式会社 五條善雅…

新規ビジネスに必要な「考える力」「行動力」の不足 ――新規ビジネスの部門への配置転換は、…

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「一歩踏み出すことで、自分の仕事の『枠組み』を越えていく」日本特殊陶業株式会社 …

「会社を変えていくのは自分たちの世代だ」 ——日本特殊陶業ではどんなお仕事をされていたの…

「新規事業に必要なのはフレームワークではなかった !? ベンチャーで知った本当に大切…

新規事業の戦力になるために ――石川さんは、新規事業のノウハウを得るためにレンタル移籍に…

「3年目のモヤモヤ。ベンチャーで見つけた、大企業で働く意味」大和ライフネクスト株…

3年目のモヤモヤを解決するために ——まずは、大和ライフネクストでどんな業務を担当してい…

「『地道なことからコツコツと』 ひたすら動くことで仲間が増え、作り出した活躍の場…

通用しなかったとしても、良い経験になる ーーなぜレンタル移籍に行ってみようと思ったのです…

「ベンチャーでのピンチを救った、大企業で培ったコミュニケーション力」住友生命保険相互会社 棚野晃史さん

全く違う業界で挑戦したかった―支部長の仕事を任され、順調にキャリアを重ねていた時期になぜレンタル移籍に挑戦したのでしょうか。 入社5年目で支部長になり、2つの支店で合計6年半にわたってキャリアを積んできました。支部長の仕事はいわば「一国一城の主」。営業のマネージメントや事務所の管理など、仕事の内容は多岐に渡ります。最初の数年は四苦八苦していたものの、だんだんと慣れていき自分なりに手応えも感じていました。 そんな充実した日々を送る中でも、常に頭の隅にあったのは社会人1年目で